<只見・春に駆ける>’22センバツへの軌跡/下 町外出身の選手、刺激に 壁乗り越え、結束力強める /福島
昨秋の県大会で初のベスト8に入り、21世紀枠で春夏通じて初の甲子園出場をたぐり寄せた只見。準々決勝のいわき光洋戦では0―6で負けたが、ここにもセンバツにつながる成長が見えた。 三回。先発の酒井悠来(はるく)(2年)が相手打線につかまり、失策も絡んで6点を奪われた。ここで、四回から救援した副主将の室井莉空(りく)(2年)が光った。制球力のさえる室井は九回まで3奪三振の無失点に抑えた。「ピンチで耐え忍んだことは評価できる」と長谷川清之監督(55)は振り返る。 会津若松市出身の室井は町の山村教育留学制度を利用し、野球をしに只見に入学した。町が町外の生徒を積極的に受け入れ、生徒は町運営の寮で生活する。野球部も選手13人のうち室井ら4人が会津若松から来た。同じ中学校出身の9人に町外の4人が混ざり、チームの強さは増した。 それでも当初は見えない壁があった。「緊張して話しかけられなくて」と室井。気付いた町出身の主将、吉津塁(2年)は「輪に入りにくかったと思うから『あのプレーはどうやるの』と話しかけるようにした」と語る。 練習を重ねるうち、徐々に壁は崩れていった。「少ない人数で、きつい練習を一緒に乗り越えたことがチームワークにつながった」と室井。吉津も「(町外から来て)一緒に野球をやろうと思ってくれたことは感謝しかない。良い刺激になっている」と認め合う。 昨夏の福島大会まで投げていた大竹優真(2年)が右肩を痛め、登板できなかった昨秋。代わりに躍進したのが町出身の酒井悠と、室井だった。酒井悠は全4試合を先発し、4番室井は3試合で継投。チームは新しい2投手を看板に、ゲームを進める形を作った。 ただ、準々決勝は課題が残った。「残塁など反省材料は多く、選手の目にあの試合がどう映っているかが重要だ」と指揮官。負けから何を感じたか。 豪雪地帯にある只見では11月下旬~4月初旬、グラウンドが雪に埋もれる。あの敗戦を糧に、ナインは駐輪場でバドミントンの羽根を使って打撃練習をしたり、雪上ランニングで下半身を鍛え抜いたりしている。吉津は「チャンスに1本が出るよう精神面も鍛えたい」と熱く語る。 只見の山並みは白一色。春と呼ぶには早いが、甲子園で一花咲かそうと、ナインは雪深い奥会津で力を蓄えている。【三浦研吾】