『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』大ヒットだからこそ考えたい、戦争の描き方
原作からの脚色もプラスに
脚色の上手さも本作の大きなポイントだろう。あらためて原作の小説を読むと、いろいろな部分において切っ先が鋭く感じる。特に現代のパートにおいて顕著で、怒鳴り散らしてばかりの百合の母親は穏やかな善人に、高圧的な教師も物わかりの良い人物に変えられている。戦中のパートでは登場人物の性格にほとんど変化はない。 登場人物のセリフにおいても、全体的に丸める方向に舵がとられているように感じる。原作の序章で、彰は「愛する人たちを守るために、俺は死にに征くよ」と言う。映画での彰は、このようにはっきりと「愛する人のために死ぬ」などと言わない。内心、特攻を嫌っているんじゃないかと思わせるような思慮深い雰囲気を出している。原作の「この命を最大限に生かして、日本を、国民を救うんだ」という言葉もカットされていた。特攻の思想が映画では強く押し出されていないことがわかる。百合に宛てた最後の手紙でも、原作では何度も使われていた「戦争」という言葉が「平和」に置き換えられている。 原作の百合はさらに主張が激しい。現代で特攻隊のニュースを見ているときは「くだらない」「自爆テロ」と悪態をつく。特攻隊をテーマにした映画『永遠の0』では、若者が特攻隊を自爆テロ扱いして、三浦春馬演じる主人公が泣きながら激昂する場面があった。これらのセリフはもっと柔らかいものへと変えられている。また、戦中で感じる「大切な人が国のために死んでも仕方ないなんて、言えるわけがない」「特攻をしたら極楽に行けるから、だから敵に体当たり攻撃をして死ね、って? 馬鹿みたい」などの怒りのモノローグもなくなっている。脚色によって全体がマイルドになっているため、物語の焦点が最後の「別離」に絞り込まれている。 なお、原作では百合が彰に「特攻なんて、体当たり攻撃なんて、ただの無駄死にだよ」と迫る場面があるが、これは映画でもほとんど同じセリフが残されている。この作品は百合の心境と考え方の変化を描いているのであり、百合が特攻のことを「ただの無駄死に」と言ったからといって、それが本作の主張ではないことを留意したい。 本作で描こうとしているのは、大きく二つの点である。一つは、特攻による悲劇的な別離。もう一つは、百合の変化である。どちらも非常にわかりやすく描かれている。