【今日11月27日はガメラの日】脚本家・伊藤和典さんに「平成ガメラ3部作」誕生秘話を聞く!「夜逃げも考えた作品」とは?
平成ガメラ3部作などを手がけた脚本家の伊藤和典さん(69)が新潟日報社のインタビューに応じ、制作秘話などを振り返りました。11月27日はシリーズ第1作が公開された「ガメラの日」。2025年に60年の節目の年を迎えるガメラの裏側に迫ります。 伊藤和典さん、ポスターなど記事の画像はこちら 伊藤さんの実家は山形県上山市で映画館を営んでいました。小学生のときに見た「キングコング対ゴジラ」(1962年公開)で怪獣映画に夢中になり、中学生のときには「特撮監督」が将来の夢でした。 脚本家となり、「いつか特撮を書きたい」と思っていた伊藤さんに、映画監督の金子修介さんが「ガメラをやらないか」と声をかけてきます。 「ガメラか…という感じではあった。ゴジラをやりたかったところはある」。ただ、むしろゴジラでできないことをやろうと、金子さんや特撮監督の樋口真嗣さんと話したそうです。 1995年の「ガメラ」では、怪獣映画で表現したいこと全てを注ぎ込み、「生態系の守護者であるガメラと、ギャオスの闘い」を描きました。制作途中で、当初5体登場する予定だったギャオスを、樋口さんが「5体も出すのは難しい」と3体にするなど、「できてみるまでは不安があったが、できたらいけるんじゃないか、という気になった」。 1996年の「ガメラ2」では脚本に難航。アリやハチをイメージした社会性のある宇宙生物を出すことは決まっていたものの、前作に全力を注ぎすぎ、「すっからかん」だったため、思うように書けませんでした。「本気で夜逃げも考えた」といいます。 なんとか書き上げた初稿も「いけてなかった」。金子さん、樋口さんと打ち合わせを重ねて何とか作り上げた。そんな労作が「最もつらかったが、代表作といえるものになった」と振り返ります。 ガメラ2では北海道を舞台の一つにすることは決まっていましたが、もう1カ所について、伊藤さんは「故郷の山形・蔵王にしよう」と主張しました。ところが、「雪山では対比するものが少なく、スケール感が分からない」と却下に。樋口さんは福島県の会津若松市を押したそうです。「樋口さんは、お城を撮りたかっただけの気もした。実際に行ってみると、ちょっと合わなかった」。その結果、仙台市が舞台に決まりました。 「ガメラ3」(1999年)のラストシーンのロケ地も、現場のロケハンで結論を出しました。当初は京都市の清水寺を予定していたのですが、現地をみると想定にあまり合いませんでした。 遅れて夜行列車で京都入りした樋口さんが、たまたま完成直後のJR京都駅を見て「ここがいい」と即決。ガラス張りの駅舎の中でガメラが敵と戦う、特撮史に残る名シーンの撮影場所はこうして決まったそうです。 2023年、「ゴジラ-1・0(マイナスワン)」が大ヒットしました。伊藤さんも 「すごく好きな作品」と話します。 ゴジラに続き、ガメラの復活を期待するファンも少なくありません。ですが、伊藤さんは「ガメラ3部作で、怪獣映画でやりたいことは全てやった。今はゴジラをやりたいとも思わないし、新しい人のガメラが見たい」と、自ら怪獣映画の脚本を手がけるつもりはないようです。 「ゴジラ-1・0」は映画としての魅力に加え、現在のコンピューターグラフィックス(CG)の技術に驚いたそうです。「ゴジラのすごく近くにカメラがあって、そこに人がいる。これは昔のミニチュアではできない表現だ」 ただ、「便利だからとCGばかりになると、ミニチュアの技術が失われてしまう」と懸念も。ガメラの特撮美術を担当した三池敏夫さんらの「仕事をなくしてはいけない」といいます。従来の特撮技術とCGについて「それぞれの良さがある。CGと、昔ながらの着ぐるみやミニチュアが共存していければいいと思う」と期待する思いを語っていました。
【関連記事】
- ゴジラとガメラと佐渡金山 新潟県の世界遺産「佐渡島の金山」 機械仕掛けの手掘り人形には、樋口真嗣監督ら日本特撮の技術が詰まっていたッ‼
- ゴジラやガメラ、特撮映画の秘話紹介 リアルさ追求の裏には苦労あり… 新潟市中央区で特撮美術デザイナー三池敏夫さんのトークイベント
- 空の安全守る「ガメラレーダー」、新潟佐渡市の航空自衛隊員が除雪に奮闘 極寒の山道、見えにくい路肩…危険と隣り合わせも連日欠かさず「任務に誇りと自信」
- 「やっぱり俳優の生活が好き」水野久美さん(三条市出身)が新潟市でトークショー、新潟人の粘り強さでつらさ乗り越える 「フランケンシュタイン対地底怪獣」も上映
- 「芝居好きの原点は故郷」 87歳ベテラン俳優水野久美さん(新潟三条市出身)、仕事断らず今も第一線 ゴジラシリーズの映画「怪獣大戦争」の"X星人"演じ海外ファンも