新国立劇場バレエ団、小野絢子と米沢唯がのぞむ『ホフマン物語』のヒロイン像
三人目の女性ジュリエッタは“非現実的”
アントニアは、プリンシパルとして数々のヒロインを演じてきたふたりにぴったりの役柄といえる。米沢はさらに別日程で、第3幕に登場する三人目の女性ジュリエッタも演じる。年齢を重ね、宗教に帰依したホフマンを誘惑する高級娼婦だ。 米沢 彼女は完全に 、“女王”。ホフマンを連れてくるのはボスのダーパテュート(実は悪魔)ですが、彼女はホフマンの中にある欲望の世界、そのトップに君臨している女王だと私は考えています。どこか非現実的で、アントニアのように血の通った人という感じがしないように思いませんか? 小野 彼の中の気持ちの揺らぎみたいなものを象徴しているように思えますよね。まるで『白鳥の湖』で黒鳥が現れたときと同じく、勝手に落ちていくようにも見受けられます。 米沢 誘うとすぐついてきますから(笑)。ホフマンが自分で十字架を作って突き出すというシーンも印象的ですが、それは彼が、彼自身の中にある十字架を持って立ち上がる、ということなのかなと思います。ホフマン役の中でもかなりのハイライトではないでしょうか。 このシーンはアントニアの話とも繋がっていると思うんです。彼女の死をずっと悼み続けていても、どうしても女性というものに惹かれてしまう。でも最後は、彼が強く立ち上がることによってダーパテュートとジュリエッタは消え失せる──。それは、十字架からダーパテュートとジュリエッタが逃げたというよりも、彼が立ち上がった、ということが重要なのかなと思うんです。 その後、エピローグには再び、初老のホフマンの恋人、オペラ歌手のラ・ステラが登場する。 米沢 彼女はオリンピア、アントニア、ジュリエッタという3人の魅力の全てを持ち合わせている人。歌を歌い、丈夫な身体も持っているし、可愛らしさも色気もある。全部を兼ね備えた存在なのだけれど、結局ホフマンはともに生きていくことができない。すべて悪魔が邪魔していることになっていますが、多分、彼自身の問題なのだろうなと思います。 小野 人間らしさにあふれたバレエですよね。現実というものはが思いきり描かれている感がある。でもだからといって救いがない感じもしない。ホフマンは辛い思い出を拒絶しているようには感じられません。それらを胸に抱きながら、生きようとしている。だからこそ、初老となったホフマンもただの偏屈で嫌なおじさんではなく、人々が寄ってくるような、愛すべき人物なんですよね。ちょっと影があって──。それが、ホフマンの魅力であり、この物語の魅力なのかなと感じます。 彼は全然ヒーローではないし、駄目なところもいっぱい見せるし、第1幕ではわりと鼻につくところもある(笑)。舞台を観て、ちょっと自分のことも見直して──という人もいるのではないかなと思います。大人の方は、いろいろ深く感じていただける作品ではないでしょうか。