【野球浪漫2024】ロッテ・荻野貴司 衰え知らずの38歳「何歳まで現役を続けたいとかは全然考えていない。毎年、1年1年、やっているだけです」
激動のシーズン
昨年は開幕を一軍で迎えながら、苦しい1年を過ごした。開幕から6戦はすべてスタメン出場し、打率.286と好スタート。だが、4月6日の日本ハム戦(ZOZOマリン)の5回、左越え二塁打を放った際の走塁で右足を痛め、途中交代。千葉県内の病院で右大腿(だいたい)二頭筋肉離れで競技復帰まで6~8週間ほど要する見込みと診断され、無念の戦線離脱となった。 9月5日のソフトバンク戦(PayPayドーム)で一軍に再合流。同12日の楽天戦(ZOZOマリン)では則本昂大の変化球を捉え、左翼席に飛び込む同年1号の逆転3ランを放った。試合前には嵐の相葉雅紀がサプライズ始球式。登場曲に嵐の楽曲を使用していた荻野は、逆転3ランを含む3安打3打点の大活躍に「相葉さんからいい運をもらえたと思います」とはにかんだ。 一方で、計2度の離脱により出場は50試合にとどまり、打率は.240。「(昨季は)ケガでだいぶ離れてしまったので、1年間いたかった思いはあります」と、悔しいシーズンとなった。 今年につながる激動のポストシーズンも経験した。クライマックスシリーズ・ファーストステージのソフトバンクとの第1戦(ZOZOマリン)は、「一番・右翼」で先発出場。初回先頭、相手先発・スチュワート・ジュニアが投じた外寄り高めの150キロを豪快に引っ張ると、左翼ポール際に先制ソロ。2017年の楽天・茂木栄五郎以来6年ぶりとなるプレーオフ、CSを通じて史上13本目の初回先頭打者本塁打となり、「試合前、監督から『ハッスルで行ってくれ』と言われたので、それが実行できてよかったです」と笑顔。37歳11カ月は、ポストシーズン最年長の先頭打者本塁打となった。
ファーストステージの第2戦を落とし、あとがない第3戦は4時間18分に及ぶ死闘。10回表に3点を失ったが、その裏に藤岡裕大の同点3ランで追いつくと、最後は安田尚憲のサヨナラ二塁打で決着をつけた。延長戦での3点差逆転サヨナラは史上初。「幕張の奇跡」と呼ばれた劇的な勝利を味わった。惜しくも日本シリーズ進出はならなかったが、荻野は「なかなか今まで経験したことないような試合もできたんで、自分の中ではそこはプラスにして、今後に生かしたいですね」と振り返った。 1985年10月21日、奈良県高市郡明日香村出身。幼少期は書道にも励んでいたが、小学4年生時に野球部の友達の母親から誘われたことを機に練習を見学。「そのまま入っちゃったみたいな感じです」と、軟式の「明日香フレッシュジュニアーズ」に入部した。当時、あこがれていた選手は「当時はショートやっていたんですけど、松井稼頭央さんがやっぱり格好よかった」と現西武監督の名を挙げた。中学時代には橿原コンドルに所属し、チームメートだった元巨人・加治前竜一らとしのぎを削った。 県立郡山高校を経て、関西学院大に入学。1年秋からショートのレギュラーで活躍し、関西学生リーグでベストナイン5度にも輝くなど、評価も高かったが、プロ志望届は出さなかった。 「トヨタ自動車の方にずっと声を掛けてもらっていたので、プロに行かないっていうよりかは、トヨタで野球がやりたかった。そのときはプロ志望の思いはなかったですね」。大学卒業後にはトヨタ自動車へ入社し、送球難などもあり、外野手に転向することになった。最初は「打球の感覚が全然違うので、やっぱり難しいなと思いましたね」と苦戦。それでも、三番打者として打率4割超とコンスタントに成績を残し、外野手部門で年間ベストナインにも選出された。