廣岡達朗コラム「巨人はなぜ毎日オーダーを変えるのか 球団は指導者育成プロジェクトを」
選手をうまくしてやろうという思いやり
12球団の監督の中で比較的勉強をしているのが阪神の岡田彰布監督である。オリックスの指揮官として経験を積んだ。専門外の投手陣も担当コーチ頼みにせず、自らブルペンに足を運ぶようになった。そこで培ったものが今に生きている。チーム防御率1位(5月26日現在)がその証拠だ。 ただ、その岡田監督もまだまだ勉強すべきところはある。 佐藤輝明は不安定な守備を露呈したのを機に、二軍へ落とされた。教える能力がないコーチ、引いては監督の責任である。これと見込んだ選手は使い続けながら育てるべきだ。 監督とコーチとでは着眼点が違う。私は1970年に広島の守備コーチとして根本陸夫監督に呼ばれた。根本さんは今津光男をショートに起用していた。私は「今津を使うのなら、監督の責任です。私は責任を負えません」と直言した。なぜなら今津は自分が気に入らないバウンドは平気でエラー。それに比べて新進気鋭だった三村敏之はどんな打球にも懸命に捕りにいった。ひたむきさが伝わってきた。だから私は「最終決定を下すのは監督ですが、三村はこれから徐々にうまくなります。辛抱強く使ってください。モノにならなければ私の責任です」と腹をくくって徹底的に彼を鍛えた。その後、三村は不動のショートストップとして1975年のカープ球団初のリーグ優勝に貢献した。 「この選手が育たなかったら自分の責任です」――そう言い切れるだけの人間が現在のコーチの中にどれだけいるだろうか。コーチという職業は単に生活の糧であってはいけない。責任、矜持、そして何より選手をうまくしてやろうという思いやりを持たなければいけないのだ。 ●廣岡達朗(ひろおか・たつろう) 1932年2月9日生まれ。広島県出身。呉三津田高、早大を経て54年に巨人入団。大型遊撃手として新人王に輝くなど活躍。66年に引退。広島、ヤクルトのコーチを経て76年シーズン途中にヤクルト監督に就任。78年、球団初のリーグ制覇、日本一に導く。82年の西武監督就任1年目から2年連続日本一。4年間で3度優勝という偉業を残し85年限りで退団。92年野球殿堂入り。 『週刊ベースボール』2024年6月10日号(5月29日発売)より 写真=BBM
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