「和田毅は早慶戦のマウンドで…」松坂世代“慶應大4番バッター”が語る、じつは旧友にひっそり告げていた引退決断の真相「珍しく弱音を吐いた」
「身体がもたなくなった。それが全て」
「未練? 自分で決めさせてもらったんですから無いですよ。身体がもたなくなった。それが全てです。ただ、よくここまで持たせたとも言えるかも知れません。引退に未練はあるのかと自分に問いかけ続けました。出てきた答えは過去を振り返り続けるのではなく未来を見ること。これから自分が何で社会に役立ち、どんなことで貢献できるのか。先を見ることでした。強く魅力的で愛されるホークスを引退してからもサポート出来る生き方もある。今までお世話になってきた皆さんに挨拶に行き、これから出会う皆さんと新たな未来を築けるかも知れない。だから僕は先を考えました」 最後も和田は潔かった。確かにこれまでもそうだった。 もう20年以上も前のことだ。早稲田大のエースだった和田が投げるストレートは圧巻だった。筆者が慶應大野球部だった頃、「あの真っすぐをスタンドオーバーしたい……」と何度も挑んだが、華奢な左腕は常に我々の想像の上をいっていた。 奇しくも大学ラストイヤーの2002年、秋季リーグの早慶戦で最後の打席に立ったのは私だった。18.44m、向こうにいる和田は微笑み、合図を送ってくれた。 渾身のストレート勝負するよ、と。 最後の一球も、光を放つような浮き上がる真っすぐだった。あの軌道は今も忘れられない。 選手と取材者となってから、和田にもらった言葉が励みになっている。 「勝負できてよかった。勝ち負けではない。対戦出来たからこそ今がある。そして、これから仲間として歩んでいこう」 打てなかったことを悔やんでいた自分の気持ちが一気に晴れた。 「現役復帰は無理だ」と言われるほどの怪我に苦しんだ時も、思い悩む姿を我々に見せることはなかった。むしろ、常に先だけを見つめ、どうすればマウンドに返り咲けるのかを分析し、未来を組み立てる力があった。それが和田毅という大エースの凄みでもあった。 松坂世代、最後の一人。しのぎを削りあってきた多くの者たち、その誰もが認める軌跡は、野球界の宝物になる。
(「All in the Next Chapter」田中大貴 = 文)
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