3年連続1億減俸も「復活へ手応え」巨人・菅野智之 ”小芝風花”似美女のお泊まりデートの「その後」
’23年シーズン最後までいまいち調子に乗り切れなかった巨人のエース・菅野智之(33)の新恋人との「お泊まり&ドライブデート」を報じたのは’23年6月のこと。この1年間、彼を支えていたのは、“小芝風花”似の美女だった。’23年7月10日に配信した記事をもとに詳細を振り返る(記事中の年齢・肩書きは掲載時のものです)。 【これは...かなり美人で美スタイル】すごい!菅野智之の彼女全身ショットが神スタイルすぎる! 坪当たりの平均地価が600万円超、マンション一戸の分譲価格が2億~7億円。気が遠くなるくらい高級な住宅街に、ワンボックス型のハイヤーが入ってきた。ハイヤーは重厚な造りの低層レジデンス前で停車。運転手が車の外に立つとスライドドアがスーッと開き、堂々たる体躯の男が降り立った。 巨人のエース、菅野智之(33)である。 流行りの、切りっぱなしミディアムヘアの美女が続いて降車。ハイヤーに向かって一礼した後、菅野のもとへ駆け寄った。二人はそのまま、寄り添いながらレジデンスの入り口に向かった。 オートロックを開錠したのは、ミディアムヘアの美女のようだった。 ’23年シーズンの初先発となったソフトバンク戦で、5回を4安打2失点にまとめ、初勝利をマークした翌日のことである――。 ◆原監督の″口撃″にも負ケズ 「プロ11年目となる’23年シーズン、菅野は期するものがありました。ここ数年、ヒジや腰、下半身の度重なる故障に悩まされ、まさに満身創痍。身体づくり、フォームから見直しました。オフは若手投手を連れて、温暖なハワイと宮古島で長期の自主トレを敢行。真っ直ぐのスピードも、スライダーのキレも取り戻したのですが……」(スポーツ紙巨人担当記者) 開幕投手の最右翼と目されていたが、オープン戦の最中にヒジが張り、首の寝違えも重なって、二軍落ち。 「投壊」に悩む原辰徳監督(64)に、 「(菅野に)取材してきてよ。『何してんですか?』って。自主トレのときは’22年12月から動いているのに、もうすぐ’23年6月になろうとしているわけだから」 と、報道陣を通じて”口撃”されたこともあった。だが、菅野は乗り越えた。 その支えとなったのが、付きっきりで技術的な問題をチェックし、修正した久保康生投手コーチ(65)。そして、冒頭の小芝風花似の美女であった。 「彼女は20代半ばの一般女性Aさんで、付き合って1年ぐらいになるんじゃないですかね。菅野投手が故障で思うようなボールが投げられず、苦しかったときに二人は知り合っていますが、彼女が野球界とは全く無縁の存在だったのがかえってよかった。自宅に野球を持ち込まずに済むから、精神的にリラックスできたと思います。彼女は仕事を最大限セーブして、炊事洗濯など献身的に身の回りの世話をしている、と聞きました。 一軍のマウンドに帰ってきた菅野投手を見て『痩せた』と思いませんでした? 実はこれまでの体重から3~4㎏、落としているんです。ウエイトトレーニングと食事を見直して、身体に負担をかけず最大の出力を出せるよう肉体改造をした。そこにも、彼女が大きく貢献しているはずです」(菅野の知人) 菅野はこれまで、20代半ばで建てた一戸建てに暮らしていたが、彼女との交際を機に引っ越したようだ。 休みの日に二人でドライブに出かける場面もあったが、朝8時すぎに菅野が練習に出発した後も彼女はレジデンスに残り、買い物などに出かけるのが常だった。部屋の主不在でレジデンスを出入りしているということは、すでに二人は同棲しているのだろうか!? トレーニング帰りの菅野を直撃した。 ――フライデーです。’23年シーズン初登板で復活星、おめでとうございます。 「ありがとうございます! ……何かありました?」 ――Aさんと親しくされている様子を拝見しました。同棲されていますね? 「えっ……いや、同棲はしていないです。ごめんなさい、僕の口からは何も言えないんです」 ――結婚のご予定は? 「申し訳ないです。それも……」 ――わかりました。逆転優勝に向けて、チームを引っ張っていってください。 「はい!」 本誌が二人の帰宅を目撃した’23年6月12日、菅野はジャイアンツ球場で報道陣を前に「嬉しいのは昨日まで。今日から次の登板に向けて、気を引き締めてやっていく」と力強く語った。 頼もしき″女房役″を得た巨人の大黒柱が、逆襲のカギを握る。 ◆3年連続で1億円減俸も「復活へ手応え」 結局、’23年シーズンの成績は、4勝8敗、防御率3.36、54奪三振の成績だった。勝ち星、奪三振数共にプロ入り後、自己最小で、勝率もプロ入り後、自己ワーストを更新。’23年12月2日、契約更改交渉を行い、3年連続の1億円ダウンとなる4億円(推定)で更改した。それでも菅野は、 「すごく悔しかったですけど、後半のパフォーマンスや、最後の5試合は出力も高い状態で投げられた。久しぶりに投げているボールに納得できました」 と’24年シーズンでの復活への手応えを明かした。’23年12月16日には、大城卓三捕手と自主トレ先であるハワイへ出国した。 「巨人は2年連続でポストシーズンに進めず、原辰徳元監督は契約を残しての退任となりました。その責任を甥であり、”エース”を務めなくてはならなかった菅野が一番感じていることでしょう。 責任感と巨人愛ということに関しては、チーム一思いが強いでしょうから、今は野球のことしか考えてないと思いますよ。結婚は’24年シーズンが終わるまではないかもしれませんね」(スポーツ紙記者) いずれにしろ、’24年は菅野にとって勝負の年になること間違いなしだ。
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