まさかの離脱…シーズン開幕前に故障した大物6人
オープン戦に突入している2024年シーズンのプロ野球。主力選手は開幕に向けての調整を進めているが、実戦をこなすうえで注意しなければならないのが、故障離脱だ。実際にシーズン開幕前の大事な時期に離脱した選手は多く、今季もすでに離脱者が出ている。そこで今回は、シーズン開幕前に故障を経験した大物選手を紹介する。
門田博光
投打:左投左打 身長/体重:170cm/81kg 生年月日:1948年2月26日 経歴:天理高 - クラレ岡山 ドラフト:1969年ドラフト2位 プロ通算567本塁打を放ち、”不惑の大砲”とも呼ばれた門田博光。ホームラン王を獲得する前の段階で、悲劇は起きた。 数々のアーチを描いた門田だが、天理高時代には一度もホームランを打てず。その後は社会人野球のクラレ岡山で腕を磨き、ドラフト2位で南海ホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)に入団した。 プロ2年目には129試合出場で打率.300、31本塁打、120打点をマークし、打点王を獲得。その後もしばらくは安定した活躍を見せていた。 そんな中、1979年の春季キャンプでアキレス腱断裂の大けがを経験。同年はわずか19試合の出場に終わり、再起不能かと思われた。 しかし、翌1980年に111試合出場で打率.292、41本塁打、84打点の活躍を見せると、1981年には127試合の出場で44本塁打を放ち、ホームラン王のタイトルを獲得。見事な復活を遂げた。 また、40歳のシーズンには130試合に出場し、打率.311、44本塁打、125打点で2冠(ホームラン王・打点王)に輝き、史上最年長での最優秀選手(MVP)も受賞した。 その後はオリックス・ブレーブス(現:バファローズ)でのプレーを2年間挟み、古巣でユニフォームを脱いだ門田。球史に残る伝説の打者となった。
辻発彦
投打:右投右打 身長/体重:182cm/78kg 生年月日:1958年10月24日 経歴:佐賀東高 - 日本通運 ドラフト:1983年ドラフト2位 西武ライオンズの黄金期を形成した辻発彦も、開幕前の故障を経験している。 辻は佐賀東高を卒業後、社会人野球の日本通運でプレー。入社4年目に都市対抗へ出場するなど実績を積み上げ、ドラフト2位で西武に入団した。 プロの世界でさらに守備力を向上させると、入団2年目には110試合に出場し、規定打席未満ながら打率.275、27盗塁を記録。俊足も活かして二塁のレギュラー格となった。 しかし、1987年のオープン戦でデッドボールを受け、右手人差し指を骨折。同年は51試合の出場に終わった。 それでも、翌年以降は完全復活を遂げ、1993年には110試合出場で打率.319、出塁率.395をマークし、首位打者と最高出塁率のタイトルに輝いた。 また、ゴールデングラブ賞は8度受賞。打撃だけでなく、堅い守備で西武の黄金期に欠かせない存在となった。