まさかの離脱…シーズン開幕前に故障した大物6人
小久保裕紀
投打:右投右打 身長/体重:182cm/87kg 生年月日:1971年10月8日 経歴:星林高 - 青山学院大 ドラフト:1993年ドラフト2位 今季から福岡ソフトバンクホークスの一軍監督に就任した小久保裕紀は、無償トレードで移籍となった年に故障を経験した。 青山学院大では同大学を初の日本一に導いたうえ、バルセロナオリンピック日本代表に学生で唯一選ばれるなど圧巻の活躍を見せ、逆指名で福岡ダイエーホークス(現:ソフトバンク)に入団した。 ルーキーイヤーから一軍デビューを果たすと、プロ2年目には130試合出場で28本塁打を放ち、ホームラン王を獲得。1997年には打点王(114打点)に輝くなど、中軸として打線を牽引した。 ところが、2003年のオープン戦で右ひざ前十字靭帯断裂の重傷を負ってしまう。同年はダイエーが日本一を達成したものの、小久保が試合に出ることはなかった。 その後、無償トレードで読売ジャイアンツへの移籍が発表され、大きな騒動を巻き起こしたのは記憶に新しいところだ。 2007年からは古巣に戻り、同球団で現役生活にピリオドを打った小久保。今季からは監督として2020年以来のパ・リーグ制覇、そして日本一を目指す。
金本知憲
投打:右投左打 身長/体重:180cm/88kg 生年月日:1968年4月3日 経歴:広陵高 - 東北福祉大 ドラフト:1991年ドラフト4位 1492試合連続フルイニング出場の世界記録を持つ金本知憲。その記録が途切れる要因となったのは、シーズン前の故障だった。 広陵高で高校通算20本塁打を放った金本は、東北福祉大に進学。1年時からレギュラーを獲得し、大学球界でも名が知れ渡るバッターになっていた。 その後、ドラフト4位で広島東洋カープに入団。入団後2年間は目立つ結果を残せなかったが、プロ3年目に17本塁打を記録してから打線の中心として活躍。2002年オフにはFA権を行使し、阪神タイガースに移籍した。 2004年7月には死球を受けた際に左手首を骨折するも、翌日に2安打を放つ離れ業を披露。同年も試合に出続け、打点王(113打点)を獲得した。 2005年も全試合に出場すると、打率.327、40本塁打、125打点をマークし、最優秀選手(MVP)を受賞。何があっても試合に出続ける姿は「鉄人」の異名を取った。 だが、2010年のオープン戦、試合前練習で味方選手と接触。右肩に重傷を負い、同年4月で連続フルイニング出場の記録は途絶えた。それでも、2012年限りで現役引退を決断するまで、持ち前の打棒でチームの大事な戦力となっていた。