禅宗らしい絵画とは? 禅僧の肖像画が弟子たちに、私たちに語りかけるもの
本展には、そんな頂相の優品が数多く出品されています。ここでは、国宝「宗峰妙超自賛像(しゅうほうみょうちょうじさんぞう)」(大徳寺の開山 京都・大徳寺)や重文「夢窓疎石自賛像(むそうそせきじさんぞう)」(天龍寺の開山 京都・妙智院)をご覧いただきましょう。両画像とも、その顔はもとよりのこと、全体の雰囲気までがきわめてリアルにあらわされていることに気づかれるはずです。弟子がこれを開き眺めたとき、きっと身が引き締まる思いがしたに違いありません。
悟りの契機となった場面を描いた禅機画
もうひとつ、禅宗らしい絵画をご紹介しましょう。祖師たちの悟りの契機となった場面を描く禅機画です。その代表作となるものに雪舟(せっしゅう、1420~1506)筆の国宝、「慧可断臂図(えかだんぴず)」(愛知・齊年寺)があります。達磨が面壁座禅中、神光(のちの慧可)という僧が参禅を請いますが無視されてしまいます。そこで神光は己の左腕を切り落として決意のほどを示したところ、ようやく入門を許されたという有名な場面を描いたものです。画面を覆い尽くす重々しい岩壁と、その岩壁に刻まれたレリーフのように微動だにしない両者の姿。異様なまでの静寂が息苦しいまでの緊張感を生み出しています。畳一畳分ほどの大きさをもつ巨幅でもあるので、絵の前に立つと、その迫力に圧倒されることでしょう。
なお、同じ禅機画では、狩野派の二代目・元信(もとのぶ、1477~1559)の手になる重文「禅宗祖師図」(もと壁貼付・襖 東京国立博物館)や、長谷川等伯(はせがわとうはく、1539~1610)の重文「禅宗祖師図襖」(京都・天授庵)なども展示されます。前者はいかにも狩野派らしい卒のない丁寧な描写を旨としたもの、逆に後者は荒々しく力強い筆さばきが持ち味となっています。ともに元信、等伯の芸術を代表する名作です。
禅問答になぞらえて描かれた絵画
最後になりましたが、禅問答になぞらえて制作された作品があるので、触れておきましょう。相国寺の画僧・如拙(じょせつ、生没年不詳)の手になる国宝、「瓢鮎図(ひょうねんず)」(京都・退蔵院)です。序文によると「ツルツルした瓢箪(ひょうたん)でヌルヌルした鮎魚(ねんぎょ、鯰のこと)を押さえ捕れるか」という将軍・足利義持(あしかがよしもち)の不思議な問い掛けに対し、如拙が絵を描き、京都五山に属する31名もの禅僧たちが詩の形でその答えを記したといいます。 実をいうと、義持の問い掛けは「鮎魚が竹竿に上る」(不可能の意)という中国のことわざをもとにしたもので、「滑る」鮎魚や竹竿に、同じ「滑る」瓢箪を加えたものであったことが絵や詩からわかります。率直に言って禅僧たちの答えは実に他愛のないものばかりですが、詩の内容や用語を連鎖的につなげる高度な聯句(れんく)の技法が駆使されており、絵の方は「滑る」題材を曲線的に、男の姿を硬直したようにあらわすことで、その意味が強調されています。どうやら禅僧たちも如拙も、はなはだ難解(?)な義持との疑似禅問答を楽しんでいるようです。義持サロンの自由な雰囲気が偲ばれる一作といえましょう。 (京都国立博物館上席研究員・山本英男)