両腕で歩くミャンマーの牧師と合気道開祖の「最後の内弟子」 Vol.35
まさに「地獄」の様相を呈している――2021年に発生した軍部によるクーデター以降、ミャンマーでは軍事政権の国軍(ミャンマー軍)と、軍事組織としてのKNLAを有するKNU(カレン民族同盟)やカチン州、シャン州、カヤ州などの武装勢力が組織した反政府(反軍事政権)の連合的武装組織PDFの戦闘が激化している。今年に入り、軍事政権はついに18歳以上の国民を徴兵するとまで発表した。 2024年現在、ミャンマーに向けられる視線は「反民主的な軍事政権VS民主化を求めるレジスタンス的武装勢力」の構図一色に塗りつぶされているが、はたしてクーデターが発生する前のミャンマー、そのディテールに目を向けていた者がどれほどいただろうか。 本連載は、今では顧みられることもなくなったいくつかの出来事と、ふたつの腕で身体を引きずるように歩くカレン族の牧師を支えた日本人武道家を紹介するささやかな記録である。
ビレイハウスの未来
山本がビレイハウスを訪れた翌年、ビレイにとってまたしても嬉しいプレゼントがあった。 ビレイハウスの活動を知ったバンコク在住の篤志家から、ビレイハウスに隣接する土地19ヘクタールを、無償で長期に貸与したいとの申し出があったのである。その広大な土地はほとんどジャングルだが、焼畑をして開墾すれば大農園を作ることができる。そしてビレイハウスの自立運営が可能となる。これほど有難い話はない。 本間がそのことをビレイに伝えると、ビレイは絶句したまま、本間館長の顔を見つめたそうである。 「ビレイさん、良かったね。ビレイハウスはこれからもっともっと発展するよ。カレン族の子供たちを幸せにすることができる。そうだ、その大農園でタピオカを栽培したらどうかな。この地域の土壌に合っているようだから、美味しいタピオカが沢山とれるはず」 タピオカは栽培が簡単で天候にも左右されず、また食用だけに限らず化粧品の材料として需要が伸びていることを、すでに本間は調査済みであった。 2015年から始まった開墾作業は教会信者や村民達の協力を得て1年ほどで終わり、2年目には整備された農地でタピオカ栽培が始まった。本間は開墾から作付までの間、幾度も現場を訪れ、開墾のための重機の手配や苗木購入などの支援をし、大農園立ち上げ作業をボランティアの仲間の先頭に立って共に汗をかいた。 ともかく19ヘクタールの大農場なのだ。タピオカ以外の野菜を作るスペースも十分にある。広大な畑にさまざまな野菜の種を播いた。1年後にはカボチャが大豊作となり、トラック1台分の収穫があったそうだ。 大農園のタピオカ栽培は、ビレイハウスの子供たち全員が手伝う。平日は全員が近くの小中学校に通っているので、涼しい時間帯の朝か夕方の1時間を、ボランティアの人達と共に作業している。 ミャンマー国内の内乱によって、カレン族が悲劇の難民となってから半世紀以上が経っている。タイ辺境の定住難民キャンプに隔離されている彼らにとって、タコラン村に完成したこの新しい孤児院は、民族の希望の星となったのかもしれない。