「平成の政治改革」の愚をふたたび犯すな 「カネのかからない政治」へ…印象論・感情論排し、事実関係を踏まえた幅広い議論を
【ニュース裏表 伊藤達美】 「政治にカネがかかり過ぎる」として、政治資金の抜本改革を求める声が強い。 【写真】「私を陥れる作り話」倍派資金還流への関与を月刊誌に否定した森喜朗元首相 では、「カネのかからない政治」とは、いったい「何万円以内」のことなのか。 これを議論するためには、現状、政治家は政治活動にどれくらいの「カネ」をかけているのかについても知らなければならない。ところが、こうした基本的な事実関係について、これまで十分な調査や研究は、ほとんど行われてこなかったのが実態だ。 何のエビデンスもなく、印象論、感情論でいくら議論しても、本当の改革にはつながらない。拙速な改革は、「角を矯めて牛を殺す」愚を犯すことになりかねない。 だが、今の自民党には、苦境を脱するためなら「禁じ手」も厭(いと)わない危うさがある。合理的な議論抜きで、「政治決断」してしまうのではないかと心配している。 実は、自民党には〝前科〟がある。いわゆる「平成の政治改革」の時がそうだった。 それまでの自民党は、小選挙区制の導入には、むしろ慎重だった。ところが、「リクルート事件」など、相次ぐ汚職や不祥事に追い詰められ、「それくらいのことをしなければ、国民の理解は得られない」とばかりに飛びついたのが、小選挙区制導入を柱とする「政治改革」だった。 しかし、改革から30年以上を経ても、いっこうに〝成果〟は上がらない。それどころか、〝弊害〟の方が大きくなってきたと言っていい。原因は、政党が成熟していないにもかかわらず、「政党中心の選挙制度」を無理やり導入したことにある。改革の大前提が間違っているのだから、うまくいかないのは当然だ。 政党組織が未熟だから、小選挙区制になっても「候補者中心の選挙」は変わらない。自前で資金を調達して後援会を組織し、私設秘書を雇い、日常の政治活動を行っているのは中選挙区時代と同じだ。したがって、「政治とカネ」の問題も解決しない。 「政党がもっと努力して政党中心の選挙を実現すべき」との意見もある。しかし、政党とて、制度の「タテマエ」と「現実」の狭間(はざま)で、四苦八苦しているのが実態だ。 理念の違う政党同士が連立したり、選挙協力をしたりしなければならないのも、1議席を争う小選挙区で勝利するための苦肉の策といえる。