松本人志氏の性加害疑惑報道は「個人的な問題」か。背景にある「ホモソーシャル」と「力関係」──連載:松岡宗嗣の時事コラム
「力関係の差」と向き合う
ホモソーシャルと同時に、「力関係の差」を考えることも重要だ。 告発した女性が「会えて嬉しかったです」と送ったお礼メッセージの画像を『週刊女性PRIME』が掲載したところ、松本氏が引用し「とうとう出たね。。。」とXに投稿した。 性暴力の被害者が、その後の関係性への影響を恐れて迎合的な態度を取ることはよく指摘されている。もし松本氏がこのメッセージをもって同意だったと言えると思っているとしたら、認識に大きな問題がある。 昨年、刑法が改正され「強制性交罪」が「不同意性交罪」に変わった。「同意のない性的行為」が処罰の対象となったが、「性的同意」を明確な「嫌だ」という言葉があったかどうかのみで捉えてしまっている人は少なくないだろう。 同意は相手とのコミュニケーションの積み重ねでしか形成できない。そのためには、相手と自分の「力関係の差」を認識する必要がある。 刑法改正によって、不同意性交等罪の要件のひとつに「経済的・社会的地位の利用」が新設された。 例えば、今回の松本氏のケースのように、芸能界で非常に力のある年配の複数の男性がホテルに集まり、後輩芸人が若い女性を集め、松本氏と二人きりにさせ性行為を迫るという状況には、「力関係の差」があることは歴然としている。 こうした力関係の差が、拒否しづらい環境を作っていなかったか、本人が同意の有無の意思を示せる状況だったかが、性的同意を考える上で欠かせないポイントと言えるだろう。 これは、あらゆるハラスメントなどの問題にも通じることだ。 上司と部下、教師と生徒など、年齢、立場、経済状況、または社会的マジョリティかマイノリティかといった、さまざまな要素で「自分と相手には力関係の差がある」という前提に立つこと。 その差が、相手の同意や意思表明のハードルになっていないかを考え、できる限り差を埋めるような環境調整、コミュニケーションを尽くせるかが重要になる。 今回の問題を「個人的な飲み会の話」と捉えるか、それとも「社会的な問題」と捉えられるか。そこには社会の構造や力関係について向き合えるかどうかという、大きな分かれ道があるのではないだろうか。
松岡宗嗣(まつおか そうし) ライター、一般社団法人fair代表理事 1994年、愛知県生まれ。政策や法制度を中心とした性的マイノリティに関する情報を発信する「一般社団法人fair」代表理事。ゲイであることをオープンにしながらライターとして活動。教育機関や企業、自治体等で多様な性のあり方に関する研修・講演なども行っている。単著『あいつゲイだって アウティングはなぜ問題なのか?』(柏書房)、共著『LGBTとハラスメント』(集英社新書)など。 編集・神谷 晃(GQ)
文・松岡宗嗣