松本人志氏の性加害疑惑報道は「個人的な問題」か。背景にある「ホモソーシャル」と「力関係」──連載:松岡宗嗣の時事コラム
ダウンタウン・松本人志による性加害疑惑報道。この問題の本質はどこにあるのか? ライターの松岡宗嗣が読み解く。 【写真の記事を読む】松本人志の性加害疑惑、問題の本質は?
『週刊文春』が、ダウンタウン松本人志氏による性加害疑惑について報じた。松本氏と後輩芸人らがホテルの一室に集まり、後輩が若い女性を松本氏に“献上”するという仕組みになっていたという。 一連の報道に対して、「飲み会の話をセンセーショナルにして社会問題化しているだけ」といった反応が起きているようだ。しかし、これは問題を矮小化してしまっている。 しばしば「男だけで飲むのはつまらないから女を呼ぼう」という人を見かけることがある。女性を“献上”するという仕組みや「女を呼ぼう」という言葉も、実は「個人的な問題」ではなく、ここにはジェンダーやセクシュアリティをめぐる構造的な問題が潜んでいる。
「ホモソーシャル」の問題
共通するキーワードに「ホモソーシャル」という概念がある。 ホモソーシャルは、もともと「性的ではない同性間の関係性」を表す言葉だが、英文学研究者のイヴ・セジウィック氏が、この概念について特に男同士の友情や関わりの問題を明るみにしたことから、近年では「男どうしの絆」について表されることが多い。 ホモソーシャルは「ミソジニー(女性蔑視)」や「ホモフォビア(同性愛嫌悪)」によって成り立っていることが指摘されている。 例えば、若い女性を“献上”したり、「女を呼ぼう」といった発言は、女性を性的にモノとして扱っていて、対等な人間として捉えていない。 さらに、男性だけで仲良くしていると、同性愛者のように思われてしまうため、(性的な存在としての)女性を間に挟むことで、結果的に異性愛者だとアピールしながら、男どうしで絆を深めるという構造になっている。 女性を性的なモノとして利用し、男性の間に挟むことで男どうしの絆を深める──こうしたホモソーシャルな空間では、女性に対するセクハラや性暴力に繋がりやすいのはもちろん、例えば先輩が後輩を無理やりキャバクラに連れていくなど、同性間でのセクハラにも繋がりやすい。 「女ばかりで飲むのはつまらないから男を呼ぼう」とはならない非対称性からも、背景にあるジェンダー構造が見える。女性蔑視や同性愛嫌悪がなければ、ただ男性だけで仲良くできるはずであるし、女性を対等な人として捉えていれば、都合よく性的なモノのように扱ったりはしないはずだ。