84年紅白「私に1分間時間をください」伝説に 元NHKアナ鈴木健二さんが95歳死去 顔出しアナの先駆け
NHKの元アナウンサーで、同局の「クイズ面白ゼミナール」「歴史への招待」などの司会で知られた鈴木健二(すずき・けんじ)さんが3月29日、老衰のため福岡市内の病院で死去していたことが3日、分かった。95歳だった。驚異の記憶力と博識ぶりで、昭和のテレビ史を象徴する看板アナ。1984年の紅白歌合戦での「私に1分間時間をください」という名文句は伝説になった。文筆業でも活躍し、著書「気くばりのすすめ」は400万部を超えるベストセラーとなった。 ふっくらとした体格に大きな黒縁の眼鏡。日本のテレビ草創期を支えた、国民的アナウンサーがこの世を去った。 放送関係者によると、鈴木さんは近年、熊本市で暮らしていた。同市は自身の初任地でもあり、NHKの定年退職後に10年間、当時県知事だった細川護煕元首相に請われて館長を務めた県立劇場があるゆかりの土地だった。30代から糖尿病を患い、50歳の時には左の腎臓を摘出。80代でも敗血症や右頸部動脈瘤(りゅう)、腰椎狭さく症、蜂窩織炎(ほうかしきえん)など難病を経験したが、90歳を超えてからも精力的に著書を刊行していた。通夜は先月30日、告別式は同31日に近親者で営んだ。 東京の両国出身。戦時中に青森の高校に移り、東北大では美術史を専攻。終戦から7年後の1952年にNHKに入局した。59年の伊勢湾台風や62年の首都高完成、64年の東海道新幹線開通、69年のアポロ11号月面着陸など、歴史の瞬間の中継番組で進行を担い、アナウンサーが顔を出して出演するスタイルの先駆けになった。また、著書によると現在では当たり前のように使われる「目線」という言葉をつくったとも言われる。 66年から「こんにちは奥さん」の司会を務め、78年の「歴史への招待」、81年の「クイズ面白ゼミナール」が人気番組に。台本を手に持たない驚異の暗記力、古今東西に精通する博識で、お茶の間の支持を獲得。82年にはクイズ番組の歴代最高視聴率42・2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録した。 83年からは3年連続「NHK紅白歌合戦」の白組司会を担当。84年の紅白では、引退宣言し大トリで「夫婦坂」を歌い終えた都はるみへのアンコールを促すため「私に1分間時間をください」と申し出たのは語り草となった。89年のスポーツ報知のインタビューでは、当時について「『アンコール』の掛け声を飛ばすサクラを何十人も入れるなど、あらゆる段取りを決めていた」と明かしていた。 文筆家としても知られ、在職中に執筆した400万部超のベストセラーとなった「気くばりのすすめ」など生涯書き記した書籍は200冊以上。定年退職後は熊本県立劇場や青森県立図書館の館長を歴任し、熊本では過疎で衰退した神楽の復元などに尽力していた。 ◆鈴木 健二(すずき・けんじ)1929年1月23日、東京・墨田区生まれ。東北大文学部卒業後の52年にNHK入局。アナウンサーとして熊本→東京→大阪→東京を歴任。ほかの担当番組に「きょうのニュース」「話の泉」など。88年に定年退職。テレビ大賞、日本雑学大賞、ゆうもあ大賞、文化庁長官表彰など受賞多数。兄は映画監督の鈴木清順さん(2017年死去)。
報知新聞社