大阪・道頓堀のグリコ看板、現看板の最終点灯日は8月17日。これまでの看板の歴史振り返り
江崎グリコは8日、リニューアルが決まった大阪市中央区道頓堀にある「グリコ看板」の最終点灯日が8月17日になると発表した。工事期間をへて、秋ごろに6代目が完成する予定。同看板は1935年に建造されて以来、道頓堀のシンボル的な存在として地元の市民や観光客に親しまれており、現在の看板は5代目。4月のリニューアル発表以来「今の看板を撮っておこう」と記念撮影をする人も増えており、同社ではツイッターやフェイスブックで残り日数を知らせる「さよなら5代目カウントダウン」企画を10日から実施することも発表した。地元市民や観光客に親しまれてきたグリコ看板だが、これまでどのようなデザインの看板が道頓堀を彩ってきたのか。看板の歴史を振り返るとともに、街の反応も聞いてみた。 健康な食品作りの原料・技術面を研究。グリコ健康科学研究所マネジャー
ネオン塔だった初代から3代目
道頓堀に初めてグリコ看板が設置されたのは1935年。高さ33メートルのネオン塔で、ランナーとグリコの文字が6色に変化、毎分19回点滅させていたという。だが、戦況が厳しくなった1943年に鉄材供出のため撤去された。2代目が登場したのは1955年。これも高さ約21メートルのネオン塔だが砲弾型となり、下の部分に設けられた舞台では大きな「ワニ君人形」がピアノをひいたり、人形劇が演じられるなどした。 1963年には3代目が登場。これは高さ18メートルだったが、トレードマークの部分にある水車状のノズル(150本)から12トンの水がふき出す仕組みを形成。それを12色のランプ400個を照らし、きれいな虹模様ができていたという。水はポンプで上のタンクに戻す仕掛けにもなっていた。
躍動感つけた4代目、ネオン管4460本使った5代目
高さ17メートルの4代目は1972年に登場。陸上競技場のトラックでゴールインするランナーが駆けるという躍動感のあるものに。午後11時まで点灯し、戎橋で看板を背景に記念撮影するという人もこの代から増え始め、名物となっていったという。建設から24年後の1996年、隣接するビルの改装に伴い撤去された。 現在輝いている5代目は、1998年に登場。高さ20メートルでネオン管を4460本使用。日没30分後から午前零時まで点灯。大阪城、通天閣、海遊館、大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)といった大阪を代表する建物を描き、バックの情景を表す色に変化をもたせることで、朝から夜までランナーが大阪の街を走っているという姿を表現した。2003年には大阪城や通天閣などとともに「大阪市指定景観形成物」にも選ばれた。