枕草子は「敗者の物語」 どう負けるか、負けた後にどう振る舞うか…私たちに必要なこと
「をかし」で表現したかったこと
たらればさん:それとは別に、『桃尻語訳 枕草子』を書いた橋本治さんは、枕草子の時代は日本語という言葉が若かった時代だと指摘しているんですね。 第1段では特に「をかし」が連発されていて、これは日本語の散文がまだ若かったからだと。あえて「をかし」を連発しているんだと。 水野:今でいうと、素敵!すごい!やばい!を連発しちゃうように、いろんな「をかし」を「をかし」1語で表現していたということですね。 この「をかし」ということばで、いろんな美しさをつづることで、世界の美しさを定子さまに伝えたかったということですよね…。 たらればさん:史実を調べると、「清少納言」の周囲に少納言職を務めた人はいません。なのになぜ彼女は「清少納言」と呼ばれたのか、誰がそう名付けたのかは分かっていません。 今回の大河ドラマでは、清原家の元輔の娘「ききょう」を「清少納言」と名づけたのは定子さま、という説が採用されていますよね。 この「定子命名説」は私もそうだったらいいな…と思っていて、というのも、「清少納言というキャラクター」は定子さまがつくったものなわけです。定子さまが見せてくれた世界で、定子さまとともに生まれたものである、と。 だからこそ清少納言が書くものは、定子さまに返すべきものである、と考えていてもおかしくないでしょう。そういう思いがあるとすると、さらに泣けるじゃないですか。 「定子さまにすべてを捧げましょう」と考えた時に、何ができるか……それは「書くこと」であると。目の前の不幸な姫君のために「光りを記そう」、「心に明かりを灯そう」と思って書いた作品が、1000年残ってよかったなぁと、しみじみ感じます。 ◆これまでのたらればさんの「光る君へ」スペース採録記事は、こちら(https://withnews.jp/articles/keyword/10926)から。 次回のたらればさんとのスペースは、7月14日21時~に開催します。