枕草子は「敗者の物語」 どう負けるか、負けた後にどう振る舞うか…私たちに必要なこと
「欠けたピース」だらけの作品を
たらればさん:私は「枕草子」は、ヤマシタトモコさんのマンガ『違国日記』と同じようなテーマを扱っている…とも思っています。 水野:単行本全11巻「違国日記」、わたしも大好きなマンガで、6月7日から映画が公開されましたね。 たらればさん:先日、枕草子を読み返して、その勢いで違国日記も読み返したんですよね。 違国日記は15歳で両親を事故で亡くした女子中学生が、35歳で作家の叔母の元へ引き取られる……というストーリーですが、このマンガの主題を私は「ことば」だと思っています。 水野:たしかに、ことばが印象的な作品ですよね。 たらればさん:ええ。私たちは「寂しい」だとか「愛している」という言葉を、当たり前のように使うわけです。 でも、私が感じる「寂しい」という感情と、たとえば水野さんの考える「寂しい」という感情が、一緒なわけないんですよね。 これまで醸成してきた心の動きとか環境とか、性別とか年齢とかで、それぞれ「寂しい」のかたちは違うはずです。それでも、全然かたちが違っていても、私たちは「寂しいです」と言われたら「寂しいんですね」とコミュニケーションしてしまいます。 違国日記も、枕草子も、これは多くの名作が普遍的に抱えるテーマだとも思いますが、私たちは欠けているピースを、欠けたままやりとりしています。欠けたまま差し出して、欠けたまま受け取り、その「欠け具合」を抱きしめるしかない。 水野:あぁ~そういうことはありますよね…相手の「寂しい」がそのまま、まるっと理解できるわけはないし…。 たらればさん:枕草子は300段ぐらい章段がありますが、千年前の最高級貴族へ向けて書かれています。令和に生きる庶民の私たちにとって枕草子は、「欠けたピース」だらけの作品なわけです。 それでも「定子さまが私に与えてくれた世界はこんなに美しく輝いていて、生きるに値する世界なんだ」という清少納言の「思い」は受け取って、抱きしめることができます。そんなテーマの共通性を、違国日記と枕草子との間に感じました。