伝説の女子ボクサー第1号が33年待ったOLボクサーと念願の世界初挑戦!
1976年9月にロスのオリンピックオーディトリアムでマリアン“レディ・タイガー”トリミアーと対戦した。9キロの減量をして試合に挑み、判定で敗れたが、翌年はまたラスベガスでリングに上がった。日本でもテレビ局がバックアップして米国からネバタ州のローカル王者を呼び“凱旋試合”。5回に右ストレートで倒した。「綺麗にカウンターが決まったんです。ボクシングは、まずディフェンスです。打たさずに打つ。それを理想としてきました。いわゆるボクサー&ファイターでしたね」 今から40年前の話である。 JBCが正式に認めていない女子ボクシングは色物として見られ世間の偏見もあった。 「女性がボクシングやるの? そんな目で見られる時代でした。でも苦労したか? と聞かれれば、ひとつもありません。ボクシングをやれることが幸せだったんです」 結局、女子ボクシングの黎明期を一人で引っ張った高築さんは、世界ベルトを腰に巻けないまま35歳で引退した。グローブをつるしてからは居酒屋などを経営したが、ボクシングからは離れることができずに再びトレーナー業をスタート。そこで出会ったのが日向野だった。4年前に一緒に前のジムからスパイダー根本ジムに移籍してきた。 日向野は、子供玩具のメーカーに務めるOLボクサーだ。県内有数の進学校、栃木女子から国立の茨城大へ進み就職したが、会社務めのストレスに耐え切れず、突如、「仕事を辞めてプロアスリートになる」と決めた。タップダンスやキックのジムを見学したが「やるならボクシング」と思い込み、この世界に入るが、最初は週に一度の“フィットネス・ボクサー”。高築さんに導かれてジムを移籍してから、やっと本格的に取り組んだ。 32歳になるが、超遅咲きで、プロデビューしてまだ3年と経験も浅い。その足りない部分を高築さん、根本会長、現在担当の木島孝二トレーナーがスクラムを組んでカバーしているのだ。現在の戦績は、6勝(2KO)4敗。4月、8月に連勝して世界初挑戦のチャンスを手に入れた。 「やるなら一番強い人とやりたかった。小関さんに勝てば正真正銘の世界王者になれます」 日向野は、高築さんへの感謝の気持ちも忘れない。 「高築さんには、ガード、ディフェンスの大切さを教えられています。昔話も聞かれますし(笑)、マスボクシングの相手をしてもらうこともあって勉強になります。ズボンを忘れたら貸してくれますし、孫のように世話をしてくれる私にとって、おばあちゃんみたいな存在です」 “絶対王者”小関を倒すことは容易ではない。おそらくオッズを立てるとすれば、1:10ほどの確率しかないだろう。それほど厳しい挑戦になるが、女子ボクシング界のレジェンドは、引退後、33年後に出会ったOLボクサーに世代を超えて自らが果たせなかった夢を託す。 「女子ボクシングは、アマチュアで国際大会が開かれロンドンから五輪競技に採用されるようになってプロの世界も活発化しましたね。でもね。今の時代を羨ましいとも思いません。昔も、最高。彼女の夢を後ろから支える今も最高なんです」 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)