伝説の女子ボクサー第1号が33年待ったOLボクサーと念願の世界初挑戦!
日本人女子プロボクサーの第1号となったレジェンドがいるのをご存知だろうか。 スパイダー根本ジムでトレーナーを務めている高築正子さんだ。68歳になるが、シャドーボクシングで繰り出すジャブや、ストレートは“本物”で、今でも練習生のマスボクシングの相手まで務める。 その高築さんが手塩にかけた日向野知恵(32、スパイダー根本)が、今日11日、後楽園ホールで17度目の防衛戦となるWBC世界アトム級王者、小関桃(34、青木)に挑む。女子ボクシング界のレジェンドが引退後、33年間待った念願の初の世界戦である。 まだ誰もいないリングに高築さんはいた。 JR京浜東北線「蕨駅」東口から歩いてすぐの場所にあるビルの2階。日本フェザー級王座を計14度防衛して世界挑戦経験も2度あるスパイダー根本会長が6年前に地元に開いたジムだ。 4年前から、ここでトレーナーとなった高築さんは、まるでジムの番人のようである。 練習が始まると、鋭い目線を選手に送り、ときには激しい言葉で叱咤を飛ばす。 「彼女はボクシングを始めてまだ5年。こんなに早く世界戦ができるとは思いませんでしたが、元々ハートの強い子でした。今、彼女が練習で取り組んでいることを試合でできればチャンスはあると思います」 当日もセコンドにつく高築さんはコーナーから練習中の日向野を見守りながら、そう言った。 現在、女子の世界王者が8人も日本にいる時代となったが、高築さんがボクシングを始めた1970年代には、女子のプロボクシングは、日本どころかまだ世界でもなかった。 「小学生の頃は柔道をやっていたんですが、テレビで見たボクシングに夢中になりましたね。勝又行雄さん(元東洋太平洋ジュニアライト級王者)やファイティング原田さんの時代です」 週に3度ゴールデンタイムにボクシング中継があった時代。高築さんは、自宅の庭に丸太に古くなったGパンを幾重にも巻き付けた手製のサンドバックを作ってもらい、学校から帰ると独学で打ち続けていたという。 「いつかボクシングをやるんだ!ってね。それほど大好きでした」 ボクシングへの思いは募った。家族に反対されたため17歳で荷物をまとめて家出した。勝又ジムに住み込んで選手の合宿生活の手伝いなどをした。ボクシングの練習はできなかったが、「ジムにいて、練習を見ているだけで幸せだった」という。その後、家族に呼び戻されるが、22歳で地元の蕨にあった埼玉中央ボクシングジムから「トレーナーの見習いをやらないか?」との声がかかり、ここからトレーナーとして7年間、選手の練習パートナーを務めながら選手育成に取り組むことになる。自らはリングに上がれなかったが、ある日、愛読書のボクシングマガジンに衝撃的な記事を見つけた。それは、アメリカで女子のプロボクシングがスタートしたという記事だった。 いてもたってもいられなくなった。だが、日本では認可されていないため、協栄ジムの先代、故・金平正紀会長の力を借りて米国ロスへ渡り、ジムで練習を重ね、カリフォルニア州のライセンスを取得した。本場で“デンプシーロール”と呼ばれる上体を振ってフックを打ち込むテクニックを初めて学び衝撃も受けた。