貴重な戦争体験証言の場に 大阪・学童集団疎開絵画展で
様々な戦争体験を語り合う場に
大阪市淀川区の十三で育った70代女性は45年春、地元の国民学校へ入学することなく、縁故疎開した高知の国民学校へ通い始めた。 「苦しかった? いいえ、実は楽しいことばっかりで。大人は苦労が絶えなかったでしようが、大阪しか知らない幼い私には、自然に恵まれたいなかは最高の遊び場でした。今でも高知で開かれる同窓会に参加し、当時の同級生たちと語り合うのを生きがいにしています」 慣れない疎開生活に耐えながら、子どもたちは自分なりの楽しみを見つけ出し、たくましく成長していた。 「これまで戦争についてあまり真剣に考えたことはありませんでしたが、今年は戦後70年の特集番組がたくさん放送されますので、DVDで録画して残すことを心がけています。第2次世界大戦は、満州事変が起きたあたりから思っていたより早く始まり、長く続いていたことを知りました。これから家族で番組を観ながら戦争と平和について話し合っていきたい」(70代女性) 「東大阪市に住んでいたが、大阪大空襲に備え自宅に防空壕を掘り、父親が貴重品などを運び込んでいた。幸い空襲に遭うことはなかったものの、あんなにつらい思いは二度としたくない。被爆国でもある日本は非戦大国をめざすべきやと思います」(70代男性) それぞれに体験は異なるものの、貴重な体験を分かち合うことにも意義がありそうだ。 (文責・岡村雅之/関西ライター名鑑)