貴重な戦争体験証言の場に 大阪・学童集団疎開絵画展で
THE PAGE大阪
イラストレーター成瀬國晴さんが第2次世界大戦末期に体験した学童集団疎開を描いた作品を公開する大阪市戦後70年記念イラスト展「時空の旅」がこのほど、大阪市北区の市中央公会堂で開かれ多数の市民が訪れた。会場に姿を見せた成瀬さんを囲んで、市民が自身の戦争体験を語り合う光景が見られるなど、来場者が貴重な体験を分かち合う場にもなっていた。
成瀬國晴さんが疎開生活をありのままに表現
公開されたのは、学童集団疎開をテーマとする「時空の旅」作品77点。成瀬さんは1936年大阪市生まれで、大阪・ミナミの市立精華国民学校3年だった1944年8月、学友414人と滋賀県愛知郡東押立村(現東近江市)へ集団疎開した。 3年男児は寺院の境内にある村の会議所を寮として集団生活をしながら、地元の東押立国民学校(現東近江市立湖東第一小学校)へ通学。集団疎開は翌45年8月の終戦直後まで続いた。成瀬さんは作品執筆に際し、集団疎開先を再訪し、同級生らへの取材を通じて、体験の記憶を掘り起こした。 農家で入れてもらった五右衛門風呂、おばちゃん手作りの風呂上りのおやつ、食用にするイナゴ取り。疎開生活のなにげない日常を描いた作品が少なくない。成瀬さんは「確かに疎開先でひもじい思いもし、苦しいことも多かったが、戦後70年を経るうちに少しずつ記憶が純化され、いなかでの貴重な体験や人々とのふれあいを、ありのままに描けるようになった」と振り返る。 そうした創作姿勢が市民の共感を呼び、家族や友人と訪れたシニア世代は、作品を鑑賞しながら言葉を交わし合う。成瀬さんの作品に触発され、戦中戦後の自身の体験がよみがえってくるようだ。
来場者ら体験語り合う「目の前で父の船撃沈された」
成瀬さんが会場に現れ「何かご質問はありませんか」と来場者に声をかけて回ると、成瀬さんを囲んで対話の輪が広がった。以下、会場で聞き取りをした戦争体験の証言集。 1933年生まれの男性は鹿児島県与論島出身。45年2月、米軍の攻撃で父を失う。「徴用を受けて近くの島へ向かう父を港で見送った母が帰宅し、『今ならお父さんが乗った船が見える』と教えてくれた。急いでガジユマルの木に上って海を見渡すと、米軍のB24が飛来して爆弾を投下。水柱が立つ中、船が撃沈されました。救助船に助けられた人や沖縄まで流されていのちをつないだ人もいたが、父は帰ってこなかった」。空襲警報のサイレンが鳴ると、海辺の洞くつの自然壕へ逃げ込んだという。 戦争中、愛媛県で暮らした70代女性は食事の思い出を語る。「いなかでも白飯は貴重で、ご飯は麦をまぜて炊いていた。麦と比べると、白米が断然おいしい。炊き上がると、麦は軽いのでお釜の上に浮いて集まり、重たい白米は下に沈む。食事時になると、母が均等にかきまぜる前に、子どもたち3人でお釜の底の白米を奪い合ったものです。どんな戦争にも何ひとついいことはありません」