「エリートなどくそくらえっ!」年俸540万円、落合博満は12球団で“最も給料が安い”四番バッターだった…そして現れた“8000万円ルーキー”原辰徳
「契約金は球団最高額8000万円だった」
81年4月4日の後楽園球場、原は「六番二塁」で開幕の中日戦でデビューすると第3打席でプロ初安打。翌5日には小松辰雄から右翼席へプロ初アーチを放つ。開幕7試合目には五番昇格。期待通りの大活躍に「全角度比較 凄いぞ原辰徳の超パワーは長島茂雄を超えた」(週刊現代1981年5月7日号)とお祭り状態になり、落合が極度の緊張から打席で全身が痙攣したというオールスター第1戦では、全セの「一番遊撃」で先発出場している。 ちなみにルーキー原の年俸は破格の推定840万円で、契約金は落合の2700万円に対して、原は当時の球団最高額となる8000万円だった。その年、若大将は打率・268、22本塁打、67打点で新人王に輝くが、落合は打率・326、33本塁打、90打点と三部門すべてで原を上回り、島田誠(日本ハム)や石毛宏典(西武)との首位打者争いを制し、初の打撃タイトルを獲得。だが、明治製菓、明治乳業、オンワード樫山といった大企業のテレビCMオファーが殺到するのは、巨人の背番号8である。 翌82年には、落合が当時の最年少記録となる28歳で三冠王を獲得。瞬く間に球界最高峰の打者に上り詰めても、その状況は変わらない。視聴率20%超えの地上波テレビのナイター中継で毎晩主役を張り、世の中やメディアで、80年代のプロ野球の顔として人気を集めたのは、サラブレッド原だった。
落合「オレはタレントじゃなくて“野球人”」
雑草とエリート――。ジャーナリストの佐瀬稔は、「『巨人』を変えた“華麗なるタツノリ”」(プレジデント1981年8月号)と題したコラムの中で、「原という、これはもう体制そのもののスター」と論じたが、あまりに対照的なニューヒーローに「すべてエリートずくめの巨人の原あたりにはない雑草のような逞しさが落合の魅力だろう。『エリートなどくそくらえの心境ですよ』というのも原への面当てか」(週刊ポスト1981年8月28日号)という論調の両者の比較記事もよく見られた。 子どもの頃に長嶋茂雄へファンレターを送り、背番号3の引退試合も「怪我の治療のため病院に行く」という名目で仕事を休んで、後楽園球場の三塁側ジャンボスタンドへ駆け付けた。無名時代の落合が憧れたミスタープロ野球。その栄光の「巨人の四番サード」を継承する男、原辰徳。プロ1年目にはスポーツ界所得番付で、千代の富士や王貞治を上回る第2位にランクインする異常な若大将人気はとどまることを知らなかった。だが、やがて年俸の数倍の大金をCM出演で稼ぐアイドル原に対して、「カメラに向かってニッコリ白い歯を見せるだけのキャラクター。コンピューターがしゃべってるみたいな模範解答」とか、「スポーツ新聞も原をメインにしたら売れない。江川なら売れる。スポーツ紙は女や子どもが買わないからね」といったマスコミからの批判も目立つようになる。 そんな優等生の原とは対照的に、叩き上げの落合は反体制のアンチヒーローでもあった。野球界のメインストリームとはまったく別のルートから頭角を現した異端のスラッガー。閑古鳥の鳴く川崎球場で、「観客の数なんて関係ないよ。俺はタレントじゃなくて“野球人”なんだもの」と淡々とホームランを打ち続ける男。「週刊宝石」の石原慎太郎との対談で「ものすごく暗いんですよ。エリートコースを歩んできた人って」と笑い飛ばし、日本でまだまだ根強い終身雇用的な価値観を否定して、バット一本で誰よりもカネを稼ぎ、「ロッテのために野球やってるわけでもない、会社の社長のためにやってるわけでもない。要するに自分のために野球やってるんだよね」なんてうそぶく一匹狼。 それが、落合博満の生き方だった。 《そして1980年代中盤、落合は巨人への電撃トレードのウワサが何度も報じられる。「中畑清プラス3億円」報道もあったが……なぜ落合の巨人移籍は実現しなかったのか? 》 <後編に続く>
(「ぶら野球」中溝康隆 = 文)
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