追悼。阪神暗黒時代に孤軍奮闘したマット・キーオ氏が盟友に漏らした本音…「なぜ100球降板が理解されないのか」
池田氏は、「今にしてみれば、キーオの考え方はメジャー流で、日本では先をいっていたと思う。もし今の時代にキーオが現れたら史上最強の助っ人投手と評価されていただろうし、もっと勝てただろう。4年間で最下位が3度、5位1度の暗黒時代に、あれだけ勝つんだから。ボールは全部動いていたし、カーブが大きく割れた。そしてコントロールの良さ。1m90と長身で角度もある。今の日本で成功する外国人投手の条件を全部満たしていた」とキーオ氏の足跡を評価した。 掛布氏も同じ意見だ。 「もし今の時代にキーオがいたら、毎年のように最多勝を争っただろうし、もっと長い年数やれたと思う。バッキーの時代は知らないが、私の知る限り、その実力は、阪神の助っ人投手歴代ナンバーワンかもしれない。結果と実力からすれば、阪神歴代ナンバーワン助っ人投手としては、当然、引退したメッセンジャーの名前が上がるだろうが、キーオも、今の阪神で投げていれば同じくらいの数字は残せたと思う。縦のカーブが凄かった」 実績では、阪神で10年間プレー、98勝84敗の成績を残し最多勝、最多奪三振タイトルをとったランディ・メッセンジャー氏が阪神歴代ナンバーワン外国人投手であることに疑いはないだろう。だが、その中身を問えば、キーオ氏も阪神歴代ナンバーワンに名を連ねてもおかしくないという。 器用な投手で自慢の縦のカーブに加え、15勝した3年目からはナックルも投げていた。 「キャッチボールをいつもキーオとやっていたんだけど、何も言わずにいきなりナックルを投げてくるので捕球できずによく体に当てた。揺れて落ちる。予測不能のボールだったね。全部ボールが変化していた」 池田氏は、そう証言したが、実は、その変化球には秘密があった。 もう時効だから書くが、実は、キーオ氏は裏テクニックの帝王でもあった。審判の目を盗み、紙やすりを忍ばせて、ボールに傷をつけた。ワセリンを帽子のツバ裏などにたっぷりとつけておき、ボールにつけた…それにより空気抵抗が生まれて変化球は、さらに大きく変化した。証拠を残さないための紙やすりの処理の仕方まで熟知していた。 もちろん反則行為である。 メジャーでは、昨年、その反則球が問題になったが、今でも多くの投手が裏テクニックを使っていると言われる。騙し合いの裏テクニックでキーオ氏は、自らの長所を生かした。 阪神の通算成績は107試合に登板、45勝44敗、防御率3.73。 「キーオは僕のことをマイフレンドと言ってくれていた。あまりにも早すぎる…寂しいね」 池田氏は愛すべき阪神歴代最強の助っ人投手のことを思い、そっと手を合わせた。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)