「奇想」を探求して50年。日本美術史の大家がたどり着いた、正統派と奇想派がシーソーのように揺れ動く“日本絵画の魅力”とは
“表”の仕事は狩野派研究。当初、奇想は“裏”だった
山下 辻先生は、今ではすっかり「若冲研究の第一人者」というイメージになっていますが、修士論文で取り組まれた近世初期の画家・岩佐又兵衛(1578~1650)の研究がライフワークになっています。その又兵衛も含めた奇想の画家たちを紹介する『奇想の系譜』を執筆された時期には、同時並行で、室町時代の狩野元信(1477?~1559)のアカデミックな研究もなさっていました。 辻 そうです。30代の頃は東京国立文化財研究所に在籍していたんですが、そこで月給をもらって、若冲や蕭白ばかりやっていたんじゃ悪いと思ってね。 というのは、戦前の美術研究所時代に、渡辺一さんという立派な研究者が中世の水墨画家の作品・伝記資料の集成に取り込んでいらしたんですよ。画僧を中心に7名分は発表されたけれど、1940年に応召して、残念なことに1944年のインパール戦線で命を落とされた。狩野派の元信については、ある程度の資料を収集した段階で終わっていたので、私は渡辺さんの遺志を継ぐつもりで研究を始めたんです。 山下 その成果が、1967年以降、『美術研究』で5回にわたって発表された研究論文「狩野元信」でした。それが正統派をテーマとした“表”の仕事だとすると、その時期の“裏”の仕事が、1968年に始まる『奇想の系譜』の連載だったわけですね。 私は、東大の学生時代に先生の元信論文をコピーして、きれいに製本して読み込みました。今でもそれを持っていますよ。ガチガチのアカデミックな論文なので、一般読者向きではありませんが。 辻 そう、あれは意識的にガチガチに書いているくらいです。 山下 今回の『最後に、絵を語る。』では、狩野派の基盤となる様式を確立した元信と、江戸時代初期に瀟洒な「江戸狩野」の様式を生み出した探幽(1602~1674)について、かなりのボリュームを割かれています。 辻 私の研究範囲は元信を中心とした「戦国時代の狩野派」だったけれど、本当なら探幽あたりまで触れておきたいという気持ちもあったんですよね。だんだん若冲のほうで忙しくなってしまいました。それにしても、元信や探幽は少なくとも戦前までは巨匠の扱いだったけれども、今は、あまり注目されないね。 山下 探幽はともかくとして、室町時代の狩野元信と江戸時代の円山応挙というのは、美術史の長いスパンで見たときに、極めて重要な結節点だと思います。それまでの絵画のスタイルを全部自分の中に吸収して、新しいスタンダードな作風を生み出していますから。 辻 要するにふたりはそれぞれに新しい「型」を作ったんですよ。それに従って学べば、弟子たちも先生のように描けるという。しかしいったん「型」ができると、おもしろいことに「型破り」というのが出てくるんだね。元信が作った「型」を孫の永徳が、応挙が作った「型」を弟子の長沢芦雪が破ろうとする。 山下 「型破り」のほうがユニークで目を引くことには違いないけれども、その「型」のほうにも目を向けましょうというのが、今回の本の趣旨ですね。 辻 そういうことです。 山下 全体に図版も多いし、インタビュー形式だから読みやすいと思います。「奇想じゃない」ほうの系譜として、親しまれるといいですね。 文/集英社学芸編集部 撮影/森本美絵 ※本記事は、『最後に、絵を語る。 奇想の美術史家の特別講義』第5講の一部を抜粋・加筆し、作品図版を追加して構成しています。
---------- 辻惟雄(つじ のぶお) 1932年、愛知県生まれ。1961年、東京大学大学院博士課程中退。1970年刊行の『奇想の系譜』(美術出版社)で、岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲らを「奇想の画家」として紹介し、その再評価の先鞭をつけた。また、「かざり」「あそび」「アニミズム」をキーワードに日本美術を幅広く論じている。『日本美術の歴史』(東京大学出版会)、『奇想の図譜』『あそぶ神仏』(ともにちくま学芸文庫)、『辻惟雄集』全6巻(岩波書店)など著書多数。 ----------
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