八角理事長、北の富士さん偲ぶ「あの親方だから横綱2人」褒めて育てた師匠「私は怒ってしまう」
<大相撲九州場所>◇12日目◇21日◇福岡国際センター これからも偉大な師匠を追い続ける-。元横綱でNHK相撲解説者の北の富士勝昭さんが82歳で亡くなったことが判明してから一夜明けた21日、弟子で日本相撲協会の八角理事長(61=元横綱北勝海)が故人をしのんだ。関係者によると、亡くなったのは九州場所3日目の12日午前。最近1年間は持病の心臓疾患や脳梗塞で入退院を繰り返しており、苦しむ様子に理事長も心を痛めていた。兄弟子の千代の富士(故人)と自身の横綱2人を育てた指導力にはあらためて敬意を示した。葬儀、告別式は既に近親者で執り行われており、12月18日に東京・墨田区の八角部屋で「お別れの会」を行う。 【写真】還暦を感じさせない力強い土俵入りを披露する北の富士さん(中央)。左は元横綱千代の富士、右に八角理事長 ◇ ◇ ◇ 言葉の端々に敬意がにじんだ。北の富士さんが育てた2人の横綱のうち、存命の八角理事長が、弟子を、相撲界を代表して語った。「自分は言われたら、やらないタイプ。怒られることはなくて、褒めて良い方向に導いてくれた。あの親方だから、横綱が2人できたんじゃないのかな」。昭和の時代には異質だった、褒めて伸ばす指導法。理事長が弟子育成に悩んでいた時に秘訣(ひけつ)をたずねると「褒めることだよ」と返ってきた。そんな師匠を思い出し「私はできていない。怒ってしまう」と、指導者の手腕を称賛した。 師匠の死を知ったのは12日だった。「よく『北の富士さんは元気?』と聞かれたけど『まあまあです』と言うしかなかった。誰に言わなかった」という。ただこの1年ほどは「入退院を10回ぐらい繰り返して(心臓の)ペースメーカーにばい菌が入ったことも。よく頑張った」と、ファンのために解説者として復帰しようと、最後まで懸命に生きた姿にも敬意を表した。 73人の歴代横綱で、82歳7カ月まで生きた北の富士さんは3番目の長寿だった。1位は明治中期に活躍し、昭和初期まで生きた初代梅ケ谷の83歳。3年前に死去した栃ノ海の82歳10カ月にわずかに及ばなかった。 理事長は新十両当時を思い出し「その気になるんじゃないぞ」と“てんぐ”になりかけた心を見抜かれ、今があると感謝する。最後に聞いた「頼むぞ」の声はお別れの会だけではなく、相撲界を託された、と受け止めている。【高田文太】