「プロになれて良かった」 引退の嘉弥真投手、思い語る
今季限りで現役引退を表明した石垣市白保出身の元プロ野球選手・嘉弥真新也投手(34)=八重山農林高卒=が19日、八重山日報社の取材に応じた。「もう心を決めた。思うようにいかない1年だった」と心境を語った。引退後に元所属先の福岡ソフトバンクホークスから球団スタッフとしてのオファーがあったとも明らかにした。 プロ13年目、東京ヤクルトスワローズ移籍初年度の今季は9試合の登板で防御率14・54。一軍登板は7月を最後に無かった。シーズン終了を待たず戦力外通告を受け「応援に応えたい」と現役続行を希望したが、他球団から声は掛からなかった。 11月中旬、現役生活にピリオドを打つ決断を下した。 「色々考えたが、オファーを待つのも辛いので、月内に(所属が)決まらなかったらもう良いかと。応援をたくさんもらったプロ野球人生だった」 八重農3年時は県予選1回戦敗退。同時期に八重山商工高が甲子園に出場し、旋風を巻き起こした。聖地で戦うライバルたちを目にし「すごい選手がいる。自分があそこに行けるとは思っていなかった」。 だが社会人野球JX―ENEOSで競技を続け、11年ドラフト5位でソフトバンクから指名を受けた。都市対抗など各大会での好投がスカウトの目に留まった。 プロ入りの要因は、社会人時代の経験にあるという。 「社会人野球ということもあって、練習メニューから姿勢まで、みなレベルが高かった。ついていこうとしたら、プロになれた」 プロ入り初登板の記憶が忘れられない。12年5月4日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(福岡)、八回2死一、三塁のピンチに登板し、1回3分の1を無失点に抑えた。 現監督の小久保裕紀が一塁を守っていた。 「小久保さんがボール回しをしてくれた。自分のグラブが動いた瞬間の感触は今でも思い出せる」 当時を忘れぬまま、472試合を中継ぎとして投げ抜いた。左の細腕から繰り出される内角球は無二の威力を誇り、左打者へのワンポイントとして、ここ一番で重宝された。 父方の実家が大家族で、親戚は100人以上いる。「嘉弥真家」のグループラインでは、自身が登板する度に「頑張れ」「ナイスピッチ」とメッセージが殺到。結果と評価が全ての世界で生きる左腕にとって、何よりの原動力になった。 「一球一球の歓声がすごい。野球教室でも子どもたちがキラキラした目で話を聞いてくれる。プロになれてよかった」と野球界を愛した。 「無事之名馬」との格言通り、プロ入り以来大きな故障は無かった。「自分の痛みの限界を知る。どうすればケガをしないか考え続けた結果だ」と深くうなずいた。 ソフトバンクから再雇用の打診があった。リリーフエースとして日本一を経験し「最高の思い出」を何度も作ったパ・リーグの雄に、別の立場から尽くそうと考えている。 「応援が無くなるのはさみしいが『嘉弥真ジュニア』が育ってほしい」 後輩たちの成長を見届ける―。生きがいを再び見つけた。同郷の平良海馬(25)=八重山商工高卒、西武ライオンズ=の成功を喜び、メジャー移籍に期待をかける。 奇(く)しくも、最後の一軍登板は、夢にまでみた甲子園でだった。 7月10日の阪神タイガース戦。六回1死から大山悠輔、佐藤輝明に連打を浴び、ここで降板した。結果は残せなかったが、聖地のマウンドで奮投したベテランの携帯には、「嘉弥真家」のグループラインの通知が入っていた。 「次がある」 (赤松拓実)