「わずか1年で黒字にできた」閉鎖寸前の学生食堂、甦らせた生徒たちと校長の秘策 物価高騰、少子化、コロナ禍…一体どうやった?
「できる時に自分のやりたいことをする。誰にも強制しない」 部活動や授業とは違う価値観を感じてほしかったからだ。 かつての泉谷さんは、ばりばりの体育会系の教師だった。学生時代にはハンドボール選手として活躍し、監督になってからは生徒たちをインターハイに導いた経験もある。 「ある意味、縛られた中で弱い自分に負けずに頑張るというスポーツの世界も好きだし、大事だと思っている」 でも、限られた高校生活の中で伝えたい価値はそれだけではない。 「強制力から解き放たれた時、本当の主体性が生まれる。でも、生徒たちが何にも追われることなく、のんびりと活動できる場は学校に意外とない。学食をそんな場にしたかった」 ▽生徒が校内に畑を開墾し、メニューを開発 生徒たちはそれぞれ担当するチームをつくり、すぐに楽しみながら活動を始めた。 例えば「広報チーム」はメニューの絵を描き、学校内にPRした。「畑チーム」は校内の空き地にテニスコート半分ほどの畑を開墾した。収穫した野菜は学食で使ったり、地域に販売したりする。みんなで焼き芋をしたり、学食に地域の人を呼んで餅つき大会をしたりしたこともある。
「メニュー開発チーム」は地元特産品のハマチを材料にハンバーグを開発。学食が調理してくれた弁当は「マルシェチーム」が地域のイベントで住民に販売し、学食の運営を援助した。 今は全9チームで、65人が活動する。地域のイベントで住民との交流を楽しむ生徒もいれば、さび付いていた学食のゴミ箱を修復する地味な活動に取り組む生徒もいる。 もちろん、失敗もする。昨年末に通信販売で生徒が考案した料理を販売した際は、材料費が高すぎて大赤字に。プロジェクトの運営費から穴埋めした。でも、失敗も生徒たちの良い経験になると学校側は捉えている。 学食を利用する生徒は徐々に増えていき、開業から1年で黒字になった。 学校側も全力で支援している。泉谷さんは香川県教育委員会と交渉し、外部に販売する許可を得た。地域の交流の場になってほしいとの思いも込め、生徒の活動を理解してくれる住民には、学食の利用も認めている。