Y.S.C.C.横浜・田村佳翔が最後に過ごした幸せなアディショナルタイム【人生に刻むラストゲーム|Fリーグ 】
深く刻み込まれた、偉大な先人のメンタリティ
Fリーグデビュー後も田村はその意外性を発揮し、しばしばビッグゲームの主役となった。しかも重圧のかかる大舞台になればなるほど、いわゆる“ゾーン”に入れる選手だった。そのメンタリティの源流について尋ねると、田村はファイルフォックスのあのレジェンドの名前を口にした。 「遡ってみると、僕はやっぱり若い頃に※難波田治を見ていたので。ピッチで表現する熱い気持ち、そのなかでの少しの冷静さといったメンタル面の部分をあの人から肌で学びました。移籍したフウガにも似たメンタリティを持った選手がたくさんいたので、そこでまた学んで。全身全霊で気持ちを出し続けることもそうだし、すべての結果を受け入れる覚悟を持ってパッとピッチに入る。そこでスイッチを切り替える。そういう選手たちを間近に見るうちに、自分も時々いわゆるゾーンに入れるようになっていったのかなと思います」 (※難波田治。元日本代表。Fリーグ誕生前の関東リーグの強豪・ファイルフォックスで活躍するなど、日本フットサル黎明期を支えた闘将。数シーズンのFリーグでのプレーを経てファイルフォックスに復帰し、その際に田村と同じセットでプレー。現ペスカドーラ町田コーチ) 若き田村が肌身で感じ、深く刻み込まれたそのメンタリティは、チームが苦しいときにこそ発揮された。 思えばあの2021-2022シーズンの入替戦もそうだった。キャプテン・青山竜也のゴールで2戦合計同点に追いついたあと、田村は仲間に「人生懸けろ!!!」と檄を飛ばした。あの試合の意味合い、重み、異常なまでの空気感。様々な状況も踏まえたうえで、これほどまでに仲間の背中を押せる言葉が他にあっただろうか。あの試合、あの瞬間に“人生懸けろ”という言葉を紡げるのが、田村佳翔という男だった。 Y.S.C.C.横浜の選手として迎えた、今度こそ最後の全日本フットサル選手権大会。2回戦の対しながわシティ戦では、第2ピリオド16分に左足で貴重な逆転ゴール。その後同点に追いつかれPKまでもつれ込むも、4人目のキッカーを務めきっちり成功。フットサル選手として過ごす時間を、自らの活躍でもう1週間延ばしてみせた。逆転ゴールについては「いいところにこぼれてきてくれたので」と謙遜したが、最後の大会でも目の前にボールがこぼれてくるその引きの強さ、そしてそれを決めきれる勝負強さこそが、田村佳翔の田村佳翔たる所以なのだろう。準々決勝敗退とはなったが、最後に思い出多き駒沢に戻ってくることもできた。田村は最後まで田村らしく、選手生活を全うした。 「Fリーガーとしてプレーしたこの10年、苦しいことも多い選手生活でした。けど、最後にこのチームに拾ってもらって、フットサルを“心の底から楽しい”と思って終われる。チームメイトのみんなが僕の能力を引き出してくれて、鳥さんも最後まで信頼して使ってくれて、本当に、ただただ感謝しかないです。最後の1年、Y.S.C.C.横浜でプレーできて幸せでした。ありがとうございました」 フットサルにアディショナルタイムは存在しない。しかしフットサルの神様は、田村に特別な追加時間を用意していた。幾度となく奇跡を起こし、そのプレーで、そして心で、多くの人々を魅了してきたNo.9田村佳翔。ファンにたくさんの“記憶”を残した男が、笑顔でピッチを後にした。