「保徳戦争」は全国区に 衆院4勝3敗、病気で引退 政界の徳田さん
「年中無休・24時間オープン」の医療を全国に広げていった徳田虎雄さん。その道のりで「医療制度の改革には政治改革が必要」と訴え、国政にも足跡を残した。初陣は出身地徳之島のある衆院奄美群島特別区(定数1)。その後、数度の選挙制度改革で鹿児島1区、鹿児島2区と舞台は変わったが、徳田さんの選挙区は「保徳戦争」「保徳代理戦争」などと評され、知名度は全国区となった。 徳田さんは1983年から90年まで3回、奄美群島区に立った。顔ぶれは無所属の徳田さん、自民の保岡興治さん、共産の島長国積さんの同じ3人。結果は2連敗の後、初当選。 その後、公選法改正で、奄美は鹿児島1区(定数4)へ。徳田さん、保岡さんは同じ選挙区で当選。その直後、無所属だった徳田さんは自民から追加公認されたが、県医師会や党県連などの反発で、1週間で白紙に。次期衆院選に向けても党本部では徳田さんに配慮する動きがあったが、選挙のしこりは根強く、党県連は対抗馬として県議を擁立した。徳田さんは引退まで自民入りはならなかった。 徳田さんは政界浪人中の89年、保守系無所属新人候補のための政治団体「自由連合」を結成。初当選後の94年には、選挙制度改革をにらんで政党化。95年には自民と衆院会派を組み、95年の自民・社会・新党さきがけ連立の村山富市内閣で沖縄開発政務次官に就任した。 ◇ 徳田さんは衆院選7戦で4勝3敗。園田修光さん(67)は自民の元県議で、小選挙区・比例代表並立制初の1996年衆院選で鹿児島2区に立ち、徳田さんらを破った。その後は議席を得られず、2016年参院選全国比例で国政に返り咲いた。「徳田さんは、後の選挙では応援いただいた仲。全国の徳洲会病院を回った時は、最先端の機器を備えた医療体制に驚かされた。政治家、医師としての姿勢に学ぶことは多く、偉大な方だった。残念に思う。心より感謝したい」 衆院当選13回で法相も務めた保岡さんは病気のため17年の衆院選に出馬せず、政界引退。19年に79歳で亡くなった。17年衆院選の鹿児島1区には長男宏武さん(51)が後継として立候補したが落選。21年の衆院選九州比例区で初当選した。 宏武さんは「父の興治は虎雄先生と選挙で激しく戦った。相手側の『大将』だとよく言っていた。亡くなる1週間前、父はすべての人に感謝したいと話し、個人の名前を挙げたのは虎雄先生だけだった。父の人生において特別な存在だった。私も政治家として学び、虎雄先生の思いをつないでいきたい」と語った。 元共産奄美地区委員長の島長国積さん(77)は奄美群島区で3回戦った。「お悔み申し上げます。ただ徳田さんのことではいろんなことを思い出す」と述べ、こう続けた。「島に病院を次々開設していったころ、職員から院内の内情や悩みなどさまざまな電話があった。選挙では3人の演説会の後に徳田さんに殴られかけたこともある。陣営からの嫌がらせもあった。そんな実態を分かっていながら、島の多くのマスコミや文化人は『おかしい』と声を上げなかった。徳田さんは、そんな奄美を生んだ人でもあった」 徳田さんは05年の衆院解散(郵政解散)時、すでに筋萎縮性側索硬化症(ALS)で、政界引退を表明。次男毅さん(53)が後継として無所属で立ち、初陣を飾った。毅さんは06年自民入り。親子2代の〝悲願″を達成した。 毅さんは09年、12年と連続3選されたが、13年に自民を離党し、14年には衆院議員を辞職した。12年衆院選を巡っての徳洲会グループ幹部らの公選法違反事件を受けた対応。幹部らの有罪判決確定で14年6月から連座制が適用され、5年間の立候補禁止が確定。国政から遠ざかることとなった。 徳田虎雄さんが国政に名乗りを上げた1980年代初頭以降、市町村長選など各種選挙をはじめ、経済・産業団体などでも「〇〇派」「〇〇派」の争いが続いた。公選法違反での逮捕者も相次いだ。 町議、保岡興治さんの秘書、県議会議長などを経て2014年から22年まで3期衆院議員(自民、鹿児島2区)を務めた金子万寿夫さん(77)は、保徳戦争を経験し徳田さんの歩みも知る。「あの時代に奄美群島各地に医療機関を設けていくというのは、徳田さんでなければできなかった。離島医療に強い思いのある方だった。政治家としても奄美振興のために頑張っていただいた。(訃報は)本当に残念」 政治的な対立の存在を問うと、こう答えた。「保徳と言われた時代もあったが、それはもう過去の話。今の時代は全くそういったものはなく、奄美の空は晴れ渡っていると考えている。徳田さんら先輩の功績を学び取ってもらって、次の世代の方々には頑張ってほしい」 県議の喜久伸一郎さん(67)は徳田さんの秘書を約20年務めた。「偉大な医療界の革命児。『巨星落つ』といった印象で本当に残念。近くで見ていて常に全力投球、日々まい進といった感じの方だった。大ざっぱな性格と誤解されがちだが、目配り、気配り、心配りができる方。患者さんなど常に弱い立場の人に思いを寄せていた」と語った。