“筋金入りの親米”国際政治学者「高坂正堯」がレーガンを突き放し、東西ドイツ統一を批判したワケは?(レビュー)
「彼は真っ当な人間でないところがありました。軍備増強にはお金が必要です」。それなのに「なんと、(X)は『減税をします。軍備を強化します』といったのです」。 (X)に入るのは「岸田文雄」ではなく、80年代に米国大統領を務めた「レーガン」だ。冷戦終焉の翌年にあたる1990年、高坂正堯が行った連続講演を翻刻した本書の一節である。 高坂といえば戦後日本を代表する「筋金入りの親米派」で、佐藤栄作以降の歴代自民党政権を支えてきたブレーンだった。社会主義圏を崩壊に追い込んだレーガン政権の対決姿勢を褒めちぎるのかと思いきや、その論調の冷淡さには驚かされる。 同じ箇所で高坂は、1973年以降の冷戦の展開を「失われた18年」と呼ぶ。直前のデタント(緊張緩和)で、米ソ両国は兵器の削減を約束したにもかかわらず、ソ連はアフガニスタン侵攻(79年)に代表される拡張主義に突き進み、米国のレーガンも軍拡で対抗した。 89年の冷戦終焉とは、無意味な軍事費の増大に参ってソ連が先に音を上げただけに過ぎず、レーガンの不誠実な財政のために、内実としては米国もボロボロになるまで堕ちていた。ベルリンの壁崩壊が「自由の勝利」として謳い上げられた当時、かくも突き放した認識を示した学者は、他に見当たらない。 だから高坂は、このとき国際世論の歓呼を浴びていた「東西ドイツの統一」(講演後の90年10月に実現)にも批判的だ。一年前には、誰も統一など想定すらしなかったではないか。それにもかかわらず一目散に突き進むのは、かつて全体主義一辺倒に陥ったドイツ固有の国民性に過ぎないのではないかと。 分裂していたドイツが統合され、経済と軍事の双方で卓越した強国に戻ることは、再び他の欧州諸国に懸念を抱かせ、波乱の種をまくと高坂は危惧した。2016年のブレグジット決定以来勃興するEU懐疑論を、すでに見通していたとも言える。 平和憲法に由来する理想主義が強かった戦後の日本では、国際政治学の「現実主義」は論壇の傍流だった。今日ではその反動から、もっぱら米国の軍事力に依拠した国際秩序を唱えるリアリズムを、「無敵の論破術」のように錯覚する識者も多い。 しかし正しい意味でのリアリストとは、あらゆる「勝利」の興奮から距離をとり、醒めた自己吟味を続ける人のことだ。本書が映し出すのは、20世紀の激動の中でそれを貫いた、一人の知性の孤高な寂しさである。 [レビュアー]與那覇潤(評論家) 1979年、神奈川県生まれ。評論家(元・歴史学者)。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学者時代の専門は日本近現代史。地方公立大学准教授として教鞭をとった後、双極性障害にともなう重度のうつにより退職。2018年に自身の病気と離職の体験を綴った『知性は死なない』が話題となる。著書に『中国化する日本』、『日本人はなぜ存在するか』、『歴史なき時代に』、『平成史』ほか多数。2020年、『心を病んだらいけないの?』(斎藤環氏との共著)で第19回小林秀雄賞受賞。 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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