齋藤彰俊、34年のプロレスラー人生に堂々の終止符「方舟に乗りし人生、我が心、夜空に輝く月に一点の雲なし」
11月17日、名古屋・ドルフィンズアリーナでプロレスリング・ノア『齋藤彰俊引退記念大会 Deathtiny』が行なわれ、齋藤彰俊が34年に及ぶプロレスラー人生に終止符を打った。 【映像】ファン感動と興奮の引退セレモニー 齋藤彰俊は1990年に日本のインディーのはしりであるパイオニア戦志でデビュー。翌91年には新団体W★INGで「格闘三兄弟」のひとりとしてエース格で活躍。92年には誠心会館の門下生とともに新日本プロレスに殴り込みをかけ、その後は宿敵だった小林邦昭、越中詩郎らと反選手会同盟(平成維震軍)を結成し新日本マットで暴れ回った。 そして2000年からはNOAHに参戦。2009年には試合中の事故で三沢光晴さんの最後の対戦相手となり、一度は命を絶つことも考えながら、今日まで十字架を背負いながら闘い続けてきた。 そんな波乱のプロレス人生を送ってきた齋藤の最後の対戦相手は「彼の背中に三沢さんを感じている」と自ら指名した丸藤正道。これに対し、丸藤も「自分の人生で最初で最後、三沢さんを背負って闘う」と受けて立った。 齋藤は右手でファンのメッセージが書かれた旗を振り、左手には三沢光晴さんのガウンを携えて入場。試合はがっちりとロックアップでスタートし、力と力の真っ向勝負。齋藤が滞空時間の長いブレーンバスター、ラリアットと得意技を繰り出していけば、丸藤も虎王、不知火、さらに三沢さんが得意としたフェイスロックで応戦。 これをしのいだ齋藤が、盟友バイソン・スミスが得意としたアイアンクロースラムから、スイクルデス(延髄斬り)、ランニング式スイクルデスで勝負をかけるが、丸藤はカウント2で返す。そして逆にフックキックから虎王、真・虎王を炸裂させ、勝負あったかと思われたが、齋藤も必死に返していく。 大・アキトシコールの中、齋藤は丸藤のエメラルドフロウジョンもカウント2で返すと、あの日、三沢さんが立って来なかった技バックドロップを“解禁”するが、丸藤はすぐさま立ち上がりエルボーからローリングエルボー、そして最後は咆哮する齋藤に向かって三沢さんばりのランニングエルボーを叩き込み、3カウントを奪った。 試合後、齋藤と丸藤はがっちりと握手を交わして座礼。引退セレモニーでは齋藤の家族もリングに上がり花束を渡されると、これまでリング上では笑顔を見せたことがなかった齋藤の顔に笑みがこぼれた。 最後にマイクを握った齋藤は「プロレスリング・ノアの選手、スタッフ、俺の宝であるファンのみんな、本当にありがとう。TEAM NOAH、ありがとう。それから天におられるあの方、俺の師匠、殴り込みをかけた時に闘ってくれた大先輩、そして青い目の仲間、本当にありがとうございます!」と、天を見上げて感謝の言葉を述べた。 そして「今日、俺はここで引退して、これからはNOAHのプロレスファンとなるけれど、そうなって最初に観られる試合がこの後のGHCなんて最高じゃないか! みんなで熱狂して応援しようぜ!」と呼びかけた後、「でも、俺はリングを降りるまではプロレスラーだ。だから見栄を切らしてくれ。倒れぬ、疲れないのがプロレスラーだ! !」と絶叫。 決して逃げることなく、常に真っ向勝負の生き様を最後まで見せて、齋藤彰俊はリングを降りた。 文/堀江ガンツ 写真/プロレスリング・ノア
ABEMA TIMES編集部