「ここは青春だった…」47年の歴史に幕を下ろす『体育館』 スポーツ大会に成人式…1977年から市民たちを見守り続け― さよなら!青森市民体育館
6月末で47年間の歴史に幕を下ろす青森市民体育館。 多くの市民が連日、スポーツを通して友人たちと交流を深めていて、閉館を前に思い出深い体育館との別れを惜しんでいます。 【写真を見る】「青森市民体育館」47年の歴史に幕を下ろす ■47年の歴史に幕を下ろす「体育館」 青森市合浦2丁目で野球場に隣接した場所に位置している青森市民体育館。6月末で歴史に幕を閉じることになります。 昨年度は約12万人が汗を流した青森市民体育館。20年ほど前から利用していたバドミントン社会人チームのリーグ戦は、この場所での開催は27日が最後となりました。 ■「ここは青春だった…」利用者たちの思い 鳥谷部哲也さん(62) 「やっぱり青春でした。ここは青春だったし、ありがとうって言いたいですね」 40年近く体育館を練習会場としてきた「青森市ママさん卓球クラブ」。この場所で、仲間とともに卓球に打ち込み、かけがえのない絆を育んできました。 ■体育館の歴史 もともと「青森商業高校」の校舎があった 青森市ママさん卓球クラブの会員 「人生のパートナーじゃないですけど。毎週毎週ずっと通ってきてたのでみんなが仲間、友達」 体育館があった場所はもともと青森商業高校の校舎があり、1971年に移転するまで、この場所から多くの生徒が巣立っていきました。校舎の跡地に体育館が整備されたのは1977年です―。 ■「スポーツ大会」に「成人式」… 市民たちを見守ってきた体育館 体育館は主婦や会社員、それに学生など幅広い世代が利用し、様々なスポーツ大会も開かれました。また、1980年代には、青森市の成人式の会場にもなっていて、着飾った新成人約1500人が人生の節目を祝いました。 こうした体育館の歩みとともに年を重ねてきたのが、「ママさん卓球クラブ」の山崎世里子会長です。 ■体育館と共に年を重ねてきた山崎会長 山崎会長は、体育館ができる前、合浦2丁目に青森商業高校があった時の在校生で、高校時代も卓球部に所属していました。結婚して夫の転勤で一時、青森市から離れた時期もありましたが、長くこの場所に通い卓球に打ち込んできました。