“スーツが売れない時代”でも「AOKI」が安定経営を続ける理由。「1998年」時点での先見の明が花開く
経済本や決算書を読み漁ることが趣味のマネーライター・山口伸です。『日刊SPA!』では「かゆい所に手が届く」ような企業分析記事を担当しています。さて、今回は株式会社AOKIホールディングスの歴史について紹介したいと思います。 AOKIといえば、青山やコナカと並ぶ紳士服大手に位置づけられますが、実は「快活CLUB」の運営企業でもあります。低価格化が進むスーツ市場において、百貨店やGMSから売上を奪ったものの、さらに市場縮小が進み、ファッション事業は苦戦しました。しかし快活CLUBの好調により、厳しい市場環境を乗り越えました。同社の歴史を振り返りたいと思います。
「長野地盤の紳士服店」として発展
AOKIは1958年に長野市の個人商店「洋服の青木」として創業しました。1965年に法人化した後、71年に長野駅前にて紳士服の大型店を開店します。駅前で立地はよく、駐車場付きの大型店であったため、市内では有数の紳士服店として知られるようになりました。79年に郊外型店舗を出店して以降、チェーン展開を始めました。 1980年の海老名店出店で首都圏に進出。86年には首都圏最大級店舗として横浜港北総本店を開店しました。89年に東証2部上場を果たし、91年には1部上場に鞍替えします。93年には初の都心店舗として新宿駅の両側に2店舗を同時オープンしました。また同年に関西で初の大型店舗を開店しています。
「専門店」として百貨店やGMSから売上を奪う
90年代からは百貨店やダイエーなどのGMS(総合スーパー)から紳士服のシェアを奪う形で勢力を拡大しました。バブル期以降は衣料品の低価格化が進み、市場規模が縮小し続けた時代です。そうしたなか、AOKIや青山などの「専門店」は価格競争力や品揃えで百貨店やGMSの衣料品売上を淘汰しました。 衣料品全般ではユニクロやしまむら、家電ではコジマやラオックスなどの専門店があり、こうした業態は「カテゴリーキラー」とも呼ばれました。カテゴリーキラーによって衰退した百貨店やGMSの現状は皆が知るところです。 ロードサイドを中心にAOKIは規模を拡大し、ピーク時の2017年3月末にはAOKI(573店舗)とORIHICA(145店舗)合わせて718店舗となりました。ORIHICAは2004年から始めた紳士服業態で、AOKIよりカジュアルかつ比較的安い点が特徴です。