「小さな被災体験を語ることも心に響く」 熊本地震遺構の広域ミュージアム整備に取り組む熊大教授が向き合う記憶の風化
熊本地震の教訓を後世に伝えようと、熊本県は県内に点在する震災遺構を見学しながら巡る広域ミュージアム「熊本地震 記憶の廻廊(かいろう)」の整備に取り組んできた。昨年7月に拠点となる展示施設が同県南阿蘇村に開館し、活動が本格化している。復旧と同時に進む記憶の風化にどう向き合うか。整備に携わってきた熊本大の竹内裕希子教授(地域防災学)に聞いた。 熊本地震は、ずれや亀裂などの地表地震断層が30キロにもわたって現れたのが特徴。益城町や南阿蘇村が多く報道されたが、宇土、宇城両市でも大きな被害が出た。被害の濃淡も復旧復興のプロセスもそれぞれ。「記憶の廻廊」は山間地、都市、ベッドタウンなど県を横断する形に広がっており、防災対策の参考となる事例を各地で考えてもらえるようにしている。 旧東海大阿蘇キャンパスや崩落した阿蘇大橋の橋桁は県の主導で残した。見てつらい思いをする人への配慮は必要だが、実物が残るからこそ伝えられることがある。ただ、残すことが復旧復興の妨げになってはいけない。例えば宇土市庁舎は行政施設が被災した教訓を伝える建物だったが、代替地などの問題から建て替えはやむを得なかった。 各地で語り部やガイドを募っている。被害の大小によって住民の向き合い方は異なり、「自分は語れない」と考える人が少なくないことが課題だ。2019年に益城町の全戸調査をした際には、震度7を2度経験した町であるのに、「家族を亡くしていない」「自宅が全壊していない」「避難所で特別な役割をしていない」などを、語れない理由に挙げる人が目立った。 語り部は、特別な体験をしていなければならないわけではない。自宅をなくした人よりも、断水やガソリン不足で困った人の方が圧倒的に多い。聞く人にとっては、大きな被害よりも小さな被害の体験が心に響くこともある。 私の実家は東京で、祖父は10歳の頃、関東大震災に遭った。倒壊した家の下敷きになって足をけがし、運ばれた病院が火災になり、曽祖父に助け出されたという。私が10歳の時に体験記を託された。こうした家庭内での小さな語りも防災意識を育むことにつながる。 被災の記憶を歴史の一事例として知ることが第一歩だが、それだけでは十分ではない。学んだ知識を「自分ごと」として捉え、備える行動をしなければリスクは減らない。(1)災害によって起こり得ることを知る(2)そのために必要な物資を備える(3)自分でできないことを頼れる人を想定しておく-。この3点が重要だ。 (森井徹)