「私がどうなってもいいの」山本麻衣、母と交わした電話越しの『親子げんか』…脳震とう欠場、パリ五輪女子バスケのエースは意外な行動に出た
◇記者コラム「パリ目撃者」 2024年も師走に入った。今夏のパリ五輪で忘れられず、引っかかっていたシーンがある。バスケットボール女子の1次リーグ最終戦日本―ベルギー戦。エースとして期待されながら脳振とうで欠場した山本麻衣(25)=トヨタ=が突如、ベンチから飛び出して床の汗を拭き始めた。込めた思いは何だったのか-。改めて追った。(占部哲也) ◆中学時代の山本麻衣と母・貴美子さんのツーショット【写真】 山本のパリ五輪は失意に終わった。いや、不完全燃焼、もしくは夢うつつか。パリから北へ高速列車で約1時間超の地リールで開催されたバスケの試合をこう振り返った。 「これまで、けがで試合に出られない経験をしたことがなかった。しかも五輪で…。本当にしんどかったし、何とも言えない感情でした。本当にどうしようもなかった。正直に言うと、本当に五輪をやったのかなっていう感じもある」 今年2月の世界最終予選・ハンガリー会場では1試合平均17得点を挙げてMVPに輝き、名実ともに日本のエースとして臨んだ大会だった。恩塚亨監督も「得点能力は世界トップクラス」と称し、身長163センチの小さな点取り屋に期待を寄せた。 五輪初戦の米国戦では敗れたが、5本の3点シュートを含むチーム2位の17得点をマーク、5アシストはチーム1位タイ。一方、185センチを超える長身選手が密着マーク、米国選手の肘が後頭部を直撃するなど厳しい接触が何度もあった。金メダルチームは「ヤマモト」を要警戒。試合後に異変が起きた。 「試合が終わった後に頭痛がして。『あっ、これ脳振とうかも』と思ってドクターに相談をした。試合中はアドレナリンが出ていたから大丈夫でしたけど…」 昨夏にチームの韓国遠征で一度、脳振とうを経験しており、気づいた。回復せずに短期間で二度の脳振とうを起こすと、脳が腫れやすく血管が破綻しやすい状態になる。「セカンドインパクトシンドローム」といい、致死率が50%を越えるケースもあるという。 中2日のドイツ戦は欠場を余儀なくされた。そして、エースを欠いた日本は、64-75で痛い連敗を喫した。11点差。勝負の世界に「たら」「れば」は禁句だが、「10点以上とれ、パワー負けしない守備もできる山本がいれば…」と素直に胸の内で思った。 大量得点での勝利が必要となった最終戦ベルギー戦も間に合わなかった。だが、状況は少し違った。「ドイツ戦はベンチに入ったけど、本当に体調が悪かった。動くとまだ吐き気もあった。声も出せず…自分がいることでチームの雰囲気が良くなかったりしたのかなとも思った。ベルギー戦もドクターストップでしたけど、体調はよかったので全力サポートしようと思った」。試合前の練習ではボールを拾い、声かけをする姿があった。 だが、前回大会で銀メダルを獲得したチームは好転しなかった。第3クオーター残り1分。日本は36-55で19点を追いかける劣勢の中、ルーズボールの奪い合いが発生した。笛が鳴る。コートの汗を拭くモップ係がなかなか出てこなかった中、俊敏な日本のエースがベンチから飛び出した。雑巾を持って、ダッシュ。フランスらしくおしゃれにデザインされたコートを高速で拭いた。 記者席から「悔しさやチームへの激励を込めたのかな」と見ていた。だが、当事者の証言は違った。「あの時の心境は、体が勝手に動いていっちゃったって感じ。後ろに雑巾があるのは確認していて、なかなかモッパーがこなかったので。それならもう、私が行くって」。チームが苦しい時に、自然と体が反応した。生き様がコートに投影された。 スタンドには「なんだ…走れるじゃん」とつぶやき、あふれ出る涙を止められない母・貴美子さんがいた。自身も実業団(現三菱電機コアラーズ)でプレーした経験を持ち、藤浪中学(愛知県)では部活のコーチも務めて親子で日本一も経験した。固い絆があるがゆえ、ベルギー戦前には『親子げんか』をしたという。 第2戦のドイツ戦から現地入りした貴美子さんは、ベルギー戦の前々日に不安と心配で電話を手に取った。「時間を限定しても出られないの?」。地道に積み上げてきた時間を知り、自身も元選手として表現する場を奪われる苦しさ、悔しさも経験している。だからこそ、わずかな希望を口にした。すると、とがった答えが返ってきた。「一番試合に出たいのは私なのに!私がどうなってもいいの」。娘は怒気を含んだ涙声で訴えかけてきた。勝負の世界の厳しさ、残酷さも知る貴美子さんは振り返る。 「親としてつらそうな娘の姿を見るのは本当に苦しかった。親の私も成長しないとだめですね。麻衣が走ってコートに入っていく姿を見たら…もうだめでしたね」 もう一人。生まれ故郷の広島で心を動かされた恩師がいた。山本が小1でバスケを始めた広島県の口田東ミニバスケットボールクラブの藤田正雄監督。元バレーボール日本代表の父・健之さんと共に母校・川内小学校でのパブリックビューイングに参加していた。 「麻衣ちゃんらしいなと思いましたね。試合には出られないけど『6人目の選手』として頑張っていた。小さい頃も状況によっては指示とは違うプレーを選択して、成功させて、ペロって舌を出すような子だった。床を拭いたシーンは、『スコア上は記録に残らないけど、みんなの記憶に残りましたね』とお父さんにも伝えました」。パブリックビューイング会場が沸き、盛り上がった瞬間だったという。 パリ五輪では、体操男子団体の大逆転による金メダルなど幸いにも多くのメダル獲得の瞬間を目撃した。だが、帰国してもどこか引っかかっていたのが山本の「床ふきふき」シーンだった。山本は3人制バスケに出場した東京五輪から3年-。パリ五輪に向けてパーソナルのコーチと契約して「ヒップはマイナス10センチ」という引き締まった肉体を手に入れた。走り方も専門家に学ぶなど163センチの体に強力なパワーを詰め込み、世界を驚かす下地をつくった。 だが、花の都で残した数字は出場時間33分31秒、17得点、5アシスト。不完全燃焼に終わった。あれから、4カ月。山本は意思を込めて言う。 「米国戦だけでいえば、東京五輪より自分は成長していると感じられた。五輪で感じたのは、大きい選手につかれたときのズレの作り方。スピードだけではなくて、横の幅、縦の幅、斜めの動きをうまく利用したプレーをもっとできるようにしたい。五輪の悔しさは五輪だけでしか晴らせない。4年後に懸ける思いは強いです」 当たり負けしない肉体に、相手に触れさせない技術を上乗せする。12月7日のバスケ女子のWリーグ戦。ベンチ、コートで笑みを見せ、トヨタの「23番」を背負ってバスケを楽しむ姿があった。「試合勘も戻ってきているし、フィーリングはいい」。開幕2戦目(10月12日)で左足首を負傷して一時離脱したが、約1カ月後に復帰するとチームも6連勝をマーク。2028年ロサンゼルス五輪に向けて再スタートを切っていた。 2024年の師走-。日本のエースの視線は、床ではなく、上を向き、リングをしっかり捉えていた。 ▼山本麻衣(やまもと・まい) 1999年10月23日生まれ、広島県出身の25歳。163センチ、56キロ。小学5年生から愛知県で育ち、昭和ミニバス、藤浪中、桜花学園で日本一になる。高校卒業の2017年にトヨタ自動車アンテロープス入り。2021年東京五輪では3×3女子日本代表として出場、8強入りに貢献。24年2月のパリ五輪世界最終予選・ハンガリー会場のMVPに選出される。好きな食べ物は広島のお好み焼き。
中日スポーツ