高2男子目指す「長崎刺繡」の道 5歳で出合い、独学で腕磨き…唯一の職人「あり得ない希望」
諏訪神社(長崎市上西山町)の秋の大祭、長崎くんちの衣装や傘鉾(かさぼこ)の「垂れ」に施される「長崎刺繡(ししゅう)」。立体感のある豪華な刺繡は県無形文化財にも指定されている伝統技術だが、現在は唯一の職人、嘉勢照太さん(73)が細々と灯を守っているのが実情だ。そんな厳しい職人の世界を真剣に目指す1人の高校生が現れた。嘉勢さんも「こんな人間が出てくるとは思ってもみなかった。あり得ない希望だ」と期待を隠さない。 技術の承継に意欲を見せるのは、長崎県立長崎鶴洋高2年の徳永未來さん(17)。5歳の頃、テレビで嘉勢さんの特集番組を見て、長崎刺繡の存在を知った。数カ月後、体験教室が開かれていた長崎歴史文化博物館へ行き、嘉勢さんの作業をそばで見せてもらった。嘉勢さんの妻路子さん(66)は当時を懐かしむ。「キラキラの目が今も思い浮かぶ」 小学5年の時、夏休みの子ども向け教室の案内が届き、参加した。翌年も、その翌年も、ついには高校生になっても参加した。そのうち関心は薄れるだろう。嘉勢さんの考えとは裏腹に、独学で腕を磨き続けていた徳永さん。嘉勢さんは思った。「こっちの世界には来ないほうがいい」 「針1本で食べていくことは難しい」上に、何よりも長崎くんちへの情熱が不可欠な仕事。「お金のためじゃない」という自己犠牲も求められる。環境は過酷だ。これまでも承継を希望する人はいたが、その人のためを思い「厳しい目」で見て断ってきたと路子さんは明かした。 刺繡の魅力を「糸のきらめき」と語る徳永さんは、祖母らの影響で幼少期からくんちが身近だった。今は籠町の龍踊の龍衆として体力づくりに励む。路子さんは「未來君はくんちも知っている。厳しい目をついに超えてきた」と昨年、熱意を受け止めた。 同10月、夫婦は徳永さんを有田焼の産地に連れていった。刺繡以外の世界を見せるためだ。3週間後、徳永さんが持ってきた作品には、色づかいやデザインに有田で得たであろう感覚が反映されていた。嘉勢さんは「基礎はまだまだだが、糸で表現したいというエネルギーにあふれている。この子はただものじゃない」と驚いたという。 「先人たちが残してくれた技術を次の100年につなぎたい」。揺るぎない思いを抱く徳永さんにとって、今年は進路を決める大事な1年だ。相談を受ける夫婦は、徳永さんの「(刺繡への)まっしぐら過ぎる思い」を少々心配する。期待をしているからこそ、いろいろな世界を知り、いろんな人に出会い、視野を広げてほしい。そんな親心をのぞかせた。 「後継者」と重圧をかけるつもりは全くない。「目の前のことを一生懸命にやればいい。慌てることはない」と話す嘉勢さんは最大級のエールを送る。「いちずな面は自分と似ている。頑張っていけばいつか自分を超えてくれるはず」