「道具が欲しい、とは言いづらかった」母子家庭で育った富士大学右腕、母を楽させ、恩返しするためにも「プロの世界へ」
富士大学には今秋のドラフト候補が多く在籍している。最速152キロ右腕の安徳駿(4年、久留米商業)もその一人だ。昨年全国デビューを果たすと、今春のリーグ戦では最優秀防御率賞とベストナインのタイトルを獲得。高校時代は最速136キロだった球速が大幅アップするなど、大学で着実に成長を遂げている。「母子家庭で育ったので、プロ野球選手になってお母さんに恩返ししたい」と安徳。幼少期から抱き続けた夢が、少しずつ現実に近づいてきた。 【写真】最速152キロ!投球後は思わず帽子が落ちることも
「野球をしている姿が好き」背中押した母の言葉
福岡県久留米市出身。野球経験者の父とソフトボール経験者の母の影響でバッティングセンターに通ったり、キャッチボールを楽しんだりしているうちに、野球が好きになった。小学1年から本格的に野球を始め、中学時代に所属した軟式のクラブチームを経て久留米商業に進学。地元で白球を追い続けた。 小学2年の頃、両親が離婚。母・文子さんのもとで3人兄妹の長男として育った安徳が当時を回顧する。 「金銭的な苦労は目に見えてわかりますし、『道具が欲しい』とかは言いづらかったです。友だちが高校生になる時や大会前の時期などに新しいグローブを買ってもらっているのを見るとうらやましかったんですけど、我慢していました。でも、お母さんが仕事を頑張っている姿を見ると『結果で恩返ししないといけない』と思えた。野球を頑張る理由の一つでした」 「元気な人」だという文子さんが、子どもの前で弱音をはいたことは一度もなかった。「野球をしている姿が好き」。そう言って、いつ、どんな時でも一番の味方でいてくれた。母の応援を力に変えた安徳は自然と、「プロ野球選手になる」未来を思い描くようになった。
YouTubeの投球動画に、富士大監督が〝一目ぼれ〟
高校時代は制球力を武器に、早い段階から頭角を現したが、2年秋に右ひじを痛め、コロナ禍も相まって3年時は伸び悩んだ。痛みは長引き、高校最後の夏は2イニングを投げるのが精いっぱい。平均球速は130キロ前後にとどまった。 当初は、本来の力を出し切れない中でも声をかけてくれた九州の大学に進学するつもりだった。しかしある日、久留米商業の中村祐太監督に富士大を勧められた。YouTubeに投稿されている安徳の投球動画を見て興味を持った富士大の安田慎太郎監督が、中村監督に電話で連絡を取っていたのだ。 安田監督は「あの年はコロナ禍だったこともあって、YouTubeでいろいろな都道府県の大会名を検索して試合の映像を見ていました。結構な数の選手の中から安徳を見つけて、『バランスと指先のかかりがいい。球質は間違いないから、あとは球速が上がればなかなか打てない真っすぐになる』と感じたんです」と話す。思わぬかたちで縁がつながった。 安徳はプロ入りを見据えて富士大への進学を決めたが、地元を離れる直前まで不安は消えなかった。「ひじが痛い状態は続いていたので、まともに野球ができるかどうかもわからなかった。大学に行くとなると授業料や移動費もかかりますし、『大丈夫かな、行っていいのかな』という気持ちでした」 そんな時も、文子さんの言葉が励みになった。いつものように「行っておいで!」と明るく背中を押され、遠く離れた東北の地へと向かった。