「遠投はやらない」木村優人(ロッテ3位)を3年で22キロ球速アップさせた練習方法と高い意識
ドラフトでロッテから3位指名を受けた木村 優人投手(霞ヶ浦)。 185センチ80キロと体格は少し細身ではあるが、最速150キロのストレートと決め球であるカットボールは超高校級。ほかにもカーブ、ツーシーム、SFFを操り、手先も器用だ。圧倒的な伸びしろ、抜群のセンスが上位指名につながった。 【動画】剛速球、キレッキレの変化球に唖然...霞ヶ浦・木村優人が凄かった そんな木村が紡ぐ言葉、練習での姿勢からは高い意識が感じられる。
最後の夏に9回大逆転負けの真相
木村は兄2人の影響で、1歳の時から野球で遊ぶようになる。本格的に野球を始めたのは小学校1年生になってからだ。中学は霞ケ浦附属中の硬式野球部(ボーイズに加盟)に入り、中学でも高校と同様、投手と打者でチームを引っ張っていた。中学を卒業後はそのまま附属である霞ヶ浦高校に進学した。 「お兄ちゃん2人の影響はありました。2人とも悔しい思いをして甲子園出場できなかったので、『あとは自分しかいない』と思い、霞ヶ浦高校に進学を決めました。もともと高校では投手として勝負しようと思っていたので、投手として成長できるところは霞ヶ浦高校しかないと思ってもいました。その2点ですね。霞ヶ浦高校に進学しようと思った決め手は」 中学の最速は128キロ。当時の木村は、投手として何が必要なのかも分からず「中学まではただ投げているというか、ピッチングって何?っていう状態だったのでボールの勢いだけで打者を抑えている感じ」の投手だった。 そんな木村ではあったが生来のセンスはバツグン。高校1年生春からベンチ入り、上級生と変わらない活躍を見せた。 「良い経験をさせてもらいました。試合に出る機会というのは少なかったんですけど、数少ない試合の中でも吸収できることはあったり、最高学年になった時でも自覚というのが芽生えてきたのも、1年生の時の経験があったからだと思います」 球速もぐんぐん上がった。1年生の夏には140キロを記録、入学して半年も経たないうちに球速を10キロ以上も上げることに成功したのだ。2年時で145キロ、3年春には150キロの大台を突破した。 全国に木村の名前は轟いた。スカウトたちも動き始めた。 150キロの大台を突破して気付いたことがある。 「リリースが上手くいいタイミングでハマった時、球速が出やすのがわかりました。力を入れたというより、バランスが嚙み合ってリリースが上手くハマったところで150キロを計測したんです。力ではなく体の使い方の問題なのかなと感じた」 3年夏、木村が大黒柱の霞ヶ浦は、茨城大会の決勝まで順調に勝ち進んだ。決勝も8回まで土浦日大に3対0とリード。あと1回で甲子園だ。 しかし、9回に一挙5得点され、木村の甲子園の夢は途絶えてしまう。 「見ている方の気持ちは『大丈夫だろう』だったと思うんですが、自分は、『やらなきゃいけない、打たれたらどうしよう』という気持ちが先走ってしまったんです。8回までは自分の投球ができていて、技術面でも心配することはなかった。でも、9回におかしくなり崩れてしまいました。マウンドで精神的に追い詰められ、不利な状態になってしまった。こうした状態のメンタル部分は見直さないといけないところだと思いました。 とはいえ、一つ大きな経験ができたと思っています。次、このような場面が出てきても逃げることなくチャレンジし、自分の投球をしていきたいなと思います」。