新宿タワマン刺殺事件を「頂き女子」文脈で語ってはいけない…橘玲氏が問う、エロス資本のマネタイズはダメなのか?
■ エロス資本のマネタイズが起きる理由 橘:リベラルな知識社会は、必然的にメリトクラシー(能力主義)の社会になります。人種や身分、性別、性的指向などの属性によって個人の扱いを変えてはならないなら、入学や採用、昇進などでの評価は属性ではないもの、すなわちメリット(学歴、資格、経験)になるしかありません。メリットは属性ではなく、「努力によって獲得できるもの」という建前になっているからです。 このメリットは、経済学では人的資本と呼ばれます。高学歴だったり、医師や弁護士の資格をもっていたり、仕事で実績をあげたりすると、大きな人的資本をマネタイズして高額の報酬を受け取ることができます。「格差社会」とは、ゆたかで平和なリベラル化した社会のなかで、一人ひとりの人的資本に大きな差が生じることをいいます。 メリトクラシーを批判するひとが理解していないのは、社会を維持するためには、あらゆる場面で個人を評価せざるを得ないという事実です。このとき、客観的に測定可能な指標であるメリットを否定してしまうと、あとは「正社員/非正規」のような“身分”で評価する身分制社会になるしかありません。 その意味で、「日本的雇用を守れ」と大騒ぎしていた“自称リベラル”は身分制を擁護する「差別主義者」です。 若い女性の人生の選択を理解するうえで重要なのは、彼女たちは人的資本とエロス資本というマネタイズ可能な2つの資本をもっていることです。もちろん両者はトレードオフではなく、両方もっていることも、少ししかもっていないこともあるでしょう。 しかし、多くの女性は10代の早い時期から、自分はどちらの資本が大きいかを意識するのではないでしょうか。
■ エロス資本で成り上がるのが批判される理由はない 橘:ステレオタイプと怒られるかもしれませんが、さびれた地方に生まれた女性で、高卒か高校中退だと、低賃金のアルバイトかパートの仕事をして、うだつのあがらない男と結婚して子育てに翻弄されて…といった将来を思い描いてしてしまいがちでしょう。 そのとき、自分のエロス資本の価値に気づいたなら、都会に出てその資本を最大限マネタイズしようと考えるのは、経済学的に極めて合理的です。人的資本と同じくエロス資本も個人が「所有」しているのだから、それをどのように使うのかは個人の自由です。 週刊誌報道によると、タワマン刺殺事件の被害女性は親に見捨てられ、中学は不登校で、高校2年で中退して東京に出てきたといいますから、エロス資本と人的資本に大きな差がある典型的なケースです。そんな女性が夜職で成り上がっていくのを目指すのは、どこにも非難される理由はありません。 【連載:橘玲氏に聞く「エロス資本」】 (上)新宿タワマン刺殺事件を「頂き女子」文脈で語ってはいけない…橘玲氏が問う、エロス資本のマネタイズはダメなのか? (中)橘玲氏が「頂き女子りりちゃん」マニュアルを分析…“ギバーおぢ”は単なる「金づる」、ナンパ師との類似性とは (下)SNSが結びつける「エロス資本」と「おぢ」、女神化した女性と交際し一発逆転を狙う「無理ゲー」が不幸な事件を招く
橘 玲/湯浅 大輝