草野仁、世が世なら相撲界入り!? 東大時代に国体予選で優勝するも出場辞退
ニュースキャスター、草野仁(80)が13日、TBSラジオ「生島ヒロシのおはよう定食/一直線」(月~金曜前5・0)に出演した。 【写真】草野仁氏に「あ~ん」をする横澤夏子 生島ヒロシ(73)から冒頭、「相撲のイメージがありますよね」と話をフラれた草野。相撲との縁は小学5、6年生の頃に始まる。近所の友だちの家がテレビを購入。相撲が始まると、学校から帰って、その家にお邪魔していたという。 「その頃一番強かったのは横綱、栃錦。子供心にも、どうやったら相撲が強くなるのかと思って見ていたら、早く立って自分のいい体勢になって、速く攻める。これが大事と分かり、確かに友だちと相撲を取ると勝てるようになった」と振り返った。 そんな草野が東大4年の夏休み、子供の頃に育った長崎県に帰省したときのことだ。アマチュア相撲協会の理事長(元十両・雲仙山=うんぜんやま)とバッタリ。大分国体(1966年)の代表選考会を兼ねた長崎県代表チームの予選会に出場することになった。 決勝で対戦したのは体重120キロ以上ある前年代表選手。当時の草野は77・5キロしかなかったが、最初の取り組みではもつれて同体に。取り直しとなり、「『栃錦方式』で早めに良い形で立って、すぐに右上手を取り、寄ると見せかけて出し投げで勝ちました」と振り返った。 しかし、卒論をほとんどやっていなかったため、国体は辞退。ユニークな体験に生島も「世が世ならば、スカウトされて大相撲に入っていたかも…。やっぱり、地力があったんですね」と感心しきりだった。草野は14日も番組に出演する。