高まる「台湾アイデンティティー」 古都・台南400年の歴史に光 統治者目線から地元目線へ
台湾で最初に開発され、長く政治の中心だった古都・台南市が、その歴史を見つめ直す取り組みに力を入れている。今年は、世界に台湾が広く知られるきっかけとなったオランダの台南進出から400年の節目。台南独自の魅力を掘り起こし、広く内外に発信するのが狙いだ。背景には、近年高まりつつある「台湾アイデンティティー」がある。(台北・後藤希) 【写真】1624年に台南が世界と接する場となった「安平古堡」 台湾鉄道台南駅から車で20分ほどの安平地区。れんがを積み上げた城壁が残る「安平古堡(こほ)」を訪れた。オランダ東インド会社が1624年に建設し、統治の拠点とした「ゼーランディア城」跡だ。敷地内でアルミ缶細工を販売していた地元の男性(66)は「オランダが来て台湾の開発が始まった。今年は節目の年だ」と話した。 1662年にオランダを打ち破り、その後の台湾を統治した長崎・平戸生まれの明の遺臣・鄭成功が「安平城」と改名。城跡に立つ鄭成功の銅像には「民族英雄」と刻まれる。今年は鄭成功の生誕400年にも当たる。市内には名前を冠した廟(びょう)に加え、道路や大学があり、存在感の大きさを感じた。 市中心部の「赤崁楼(せっかんろう)」も台南の歴史的シンボルの一つだ。オランダ人が1653年に建て、後に鄭成功が政権の拠点を置いた。オランダ時代の土台の上に中国式の楼閣が築かれ、改築や修繕を繰り返して現在の姿になった。日本統治時代は陸軍病院として使われた。 セレクトショップや書店などが集まり、アートスポットとして若者に人気の「神農街」は、清時代に港の入り口として栄えた街道だった。当時は人力や牛車で貨物を運んでいたため、道幅は3メートルほどしかない。 日本統治時代には、市街地の都市化が進められた。林百貨や国立台湾文学館といった当時の建設物が今も市内に数多く残っている。街を歩くだけで、台南が歩んできた歴史を感じることができた。 ◇ ◇ 台南市は今年、「台南400」と題して1年を通して展覧会やイベントを開催している。その意義を、市文化局の謝仕淵局長は「統治者目線の歴史から、地元目線の歴史に転換すること」と説明する。 例えば安平古堡は、ときの政権によって異なる意味合いを持っていた。鄭成功時代は、オランダとの戦いで勝利を決定づけた戦場。日本統治時代は、東南アジアの重要拠点。戦後の国民党政権時代には、鄭成功が清に抵抗して明の復興を狙っていたことから、大陸反攻の象徴とされた。 謝局長は「こうした外来政権からの視点ではなく、台南が世界に触れ、変化していった点に力を入れた」と強調する。 その一つとして、安平古堡内にある「ゼーランディア博物館」の展示内容を変更。オランダ進出前に現地で暮らしていた「シラヤ族」にスポットを当て、周辺国との貿易で栄えた当時の暮らしぶりや、オランダの統治が先住民の生活にどのような変化をもたらしたかを紹介する。 鄭成功の歴史的評価も、ここ10~20年間で変化してきているという。市立博物館の曽稚淵さんは「漢民族にとっては台湾を開いた英雄であり、信仰の対象にしている人も多い。一方、先住民からすると土地の侵略者。見方によって評価は異なる」と指摘する。 台湾では1987年の戒厳令解除後、民主化が進むとともに国民党政権時代の評価は変わりつつある。台湾人としての意識も高まり、とりわけ近年の中台関係の緊張がその流れに拍車をかける。昨年の政治大の調査では、自身を「台湾人」と認識する人は6割超に上った。 謝局長は「台南人が主人公の歴史を発信していきたい。これまで歩んできたさまざまな歴史を踏まえ、次の400年につながる未来を築きたい」と語った。