マラドーナの「神の手」を38年前に真横から見たベテラン記者が綴る南米サッカーの「騙し合い」
【神の手は南米のトリックプレーの最たるもの】 南米のサッカーは、もちろん華麗な個人技のサッカーという面もあったが、同時に勝負に拘るサッカーでもあった。当たりの激しさが印象的だった。そして、ピンチになったら躊躇なく反則で止めてしまう。 昔の南米のサッカーはそんな感じだった。相手選手とのえげつない駆け引きが繰り返され、ベンチにいる相手チームの監督とつかみ合いをすることもある。そして、選手たちはレフェリーのことを欺こうとする......。 そんなトリックプレーの最たるものが、あのディエゴ・アルマンド・マラドーナによる"神の手"だ。 メキシコ市のアステカスタジアムで行なわれた、1986年W杯準々決勝のイングランド戦の後半。ゴール前に高く上がったボールをGKのピーター・シルトンと競り合ったマラドーナは折りたたんだ手にボールを当ててゴールを陥れた。もちろん、ハンドの反則だ。しかし、その時のレフェリーだったアリ・ビン・ナセル氏(チュニジア)にはそれが見えず、そのまま得点が認められた。 そして、試合後にマラドーナは「あれは"神の手"だった」という謎のコメントを残したのだ。 その4年後の、1990年イタリアW杯。ナポリで行なわれたグループリーグのソ連戦でも(当時のマラドーナはナポリ所属)、マラドーナは"神の手"を繰り出した。今度は自陣ゴール前で相手のシュートを手で止めてしまったのだ。ところが、この時もスウェーデンの名レフェリーだったエリク・フレデリクソン氏には"神の手"が見えなかったのだ。
【「騙し合い」の風土】 もちろん、今だったらVARによってイングランド戦の先制ゴールは取り消され、ソ連戦ではソ連にPKが与えられたはずだ。しかし、天才マラドーナのことだ。VARカメラには映らないような方法で"神の手"を発動することだって不可能ではないのかもしれない......。 「神の子」によってVARが欺かれるシーンを見てみたいような気もする。 イタリア大会の"神の手"は、僕は泊まっていたミラノのホテルのテレビで見たのだが、メキシコ大会ではアステカスタジアムの記者席、それもまさにそのプレーが行なわれた地点の真横の位置でそれを目撃した。 その瞬間、僕は「あれ、ハンドじゃないか?」と思ったのを記憶している。 僕の周囲には、たまたまアルゼンチンの記者が大勢座っていたのだが、周囲を見回すと彼らも「ああ、あれは間違いなくハンドだ」と口をそろえた。 おそらく、南米での試合では、ああいった「故意のハンド」というトリックはしょっちゅう使われるのだろう。 たとえば、2010年南アフリカW杯準々決勝のウルグアイ対ガーナ戦。1対1の同点で迎えた延長後半の終了間際に、ウルグアイのルイス・スアレスが故意のハンドでシュートを止めた。これはレフェリーに見つかってしまってガーナにPKが与えられたが、アサモア・ギャンが失敗。PK戦でウルグアイが準決勝に進出した。 だから、アルゼンチンの記者たちはすぐにハンドだとわかったのだろう。もし、レフェリーが南米出身だったら、ハンドはすぐに見破られたのではないだろうか......。 そんな「騙し合い」の風土があるから、南米ではレフェリー側も自分を騙そうとする選手たちと対峙するために、いろいろな武装をすることになる。