「絶対死なない」乳がんステージ3公表・梅宮アンナが語る“闘病への決意”「私にしかできないことをやっていく」【単独インタビュー】
2024年8月13日、ステージ3Aの“乳がん”と診断されたことを公表したタレントの梅宮アンナさん(51)。「めざまし8」の取材に、“右乳房の全摘出”を決断したことを明かしました。 【写真24枚】乳がんステージ3公表・梅宮アンナが語る“闘病への決意” 梅宮アンナさん: やっぱりがんって言われた瞬間に、私の頭の中は両方あります。ダメかもしれないって。 ダメかもしれないは、死んでしまうことを意味するんだけども…治ったら奇跡。本当に毎日が希望と絶望が入り交じる生活です。 インタビューを受ける、アンナさんの隣には、がんを告知された時も隣にいたという母親のクラウディアさんの姿が。 語られたのは、がん公表の裏にあった、梅宮アンナさんの“本音”、そして、知られざる家族との絆でした。 ――体調はいかがですか? 梅宮アンナさん: きょうちょうど手に包帯しているんですけど、午前中に抗がん剤(治療)をやってきて、抗がん剤やった日は、全然元気なんですね。 インタビューの直前まで、抗がん剤治療を受けていたというアンナさん。その右手には、包帯が巻かれていました。 梅宮アンナさん: やっぱり先が見えないから、例えばきょうも抗がん剤やってきて、あした何℃熱出るんだろうとか。 19歳の時、街でスカウトされたことをきっかけにファッションモデルとして、芸能界デビューした、梅宮アンナさん。 人気雑誌「JJ」の専属モデルとして頭角を現し、一躍女性たちの”ファッションリーダー”的存在に。29歳で一人娘の百々果さんを出産し、その後 シングルマザーとして子育てをしながら、トレードマークのショートヘアで、仕事を続けてきました。 そんなアンナさんを襲った、乳がん。医師からは、抗がん剤治療により髪の毛が抜け落ちることを告げられたといいます。 梅宮アンナさん: やっぱり髪形は最後までね、先生にくいついたというか。(周囲は)終わったら生えてくるからって言ってくれるんだけど、「1日も嫌なの」って。「1日たりとも髪の毛ないのは嫌なの」って。「抜けます」ってはっきり言われて、やっぱり落ち込みましたよね、泣いた。 そして、抗がん剤治療の後に待っているのは…。 梅宮アンナさん: 私はもう完全に全摘(出)が入っていて、完全に取るんですね。胸とリンパ節、そこを取るかどうかまでは、まだ分からないんだけど、とにかく胸を取ります。 ■体に訪れた“異変” アンナさんが、自身の体に異変を感じたのは今年5月のこと。シャワーを浴びた後に自分の体を見ると、右胸だけが小さくなっていたというのです。 梅宮アンナさん: 何かしこりがあるっていうと自分で発見できるんですけど、私はそうじゃなかった。サイズが収縮しちゃったんですよ、急に。24時間以内だと思うんです、シューって。 その翌月、ドイツへ旅行した際には、激しい痛みに襲われたといいます。 梅宮アンナさん: もうおっぱいが痛くて、痛くて。収縮するんで、表面の皮膚も引っ張られる。その痛さもあってずっと痛み止め飲んでて。 異変を感じ、何度も病院で検査を受けたというアンナさん。その隣には、常に母のクラウディアさんがいました。今は亡き、夫・梅宮辰夫さんの6度にわたるがん手術も、アンナさんとともに付き添ってきた クラウディアさん。 梅宮アンナさん: 一緒に来るんですよ。私は「ママいいよ」って。病院は病院でも、ちょっと特殊なものだから、気分が落ちたりとかするかもしれないし、来なくていいよって言うんだけど、「いや、行く」と。 言われる側は一人の方がよかったなと思った。それは私は受け止められるけど、それ言われて、横に並んでいたんですけど、見られなかった。 母・クラウディアさん: 待っていてもすごい不安で不安でね。やっぱり長いですよね、その時間がものすごく。イライラして待っているのも嫌だわねと。 (先生から)「がんです」って言われた時、「ああ、なんでこの子なんで?」と思っちゃいましたよね。 アンナさんが がんを告知された時も、隣で一緒に聞いていたクラウディアさん。そんな存在について、アンナさんは、こう表現します。 梅宮アンナさん: 私が泣いている時は笑っているし、(母が)泣いている時、私が笑ってみたいな感じだから。 (病院で)抗がん剤をやると爪が黒くなりますとか、髪の毛がなくなりますとか、とにかく怖い話をされるわけですよ。あ、そうなんですかって、ふって見たら(寝ている)。 すごくびっくりしたんですよ。世界中で子供ががんだっていうのに、寝ちゃう親ってクラウディアさんぐらいかなって。でもやっぱりそれが癒やしになるんです。 本当に前のめりになって「先生それで?」っていうような親だと、私は疲れちゃったかもしれないし。パパがこの人と一緒にいて、癒やしだったのがすごく分かったんですよね。 ■“娘”の存在と見つけた新たな“生きがい” そして、アンナさんにとって もう一人の“かけがえのない存在”。それは、アメリカで暮らす、一人娘の百々果さんです。がんの告知を受けた後、百々果さんにも報告したアンナさん。 梅宮アンナさん: やっぱりもう21の…彼氏もいるし、もう彼氏、彼氏なわけですよね。そういえば私もそうだったなみたいな感じなんですけど。 最初泣いてね、ずっと泣いて、泣いて、泣いて。「お願いだから死なないで」、「死ぬには早すぎる」って。やっぱり21歳、22歳で親を失うことを考えたら、何が何でも生きなきゃいけないなって思いますよね。 私は“絶対”っていう言葉を“絶対使わない人”なんですけど、「あなただけに絶対は使いましょう」って言って「絶対死なない」って言ったんですけど。 娘に誓った「生きる」決意。それは同時に、新たな「生きがい」も生んでいました。 梅宮アンナさん: 私だったら私がやるべきことっていうのを考えていて。梅宮アンナが梅宮アンナを、私のプロデューサーは私で。 湧き上がってきたのは、長年、ファッションの最前線で活躍してきた、アンナさんならではの思い。 梅宮アンナさん: 誰かがね、私のことを見てくれて、「そっか、こういうウィッグのかぶり方があるんだ。じゃあ抗がん剤もいっか」って思えるような人になるべきだなと思ったんですよ。 かわいいウィッグ。ウィッグだけだとちょっと不自然だから、こうやってニットかぶるんだよとか帽子かぶるんだよってやり方をインスタで見せていこうと思っていて。 それが必要なんじゃないかと思ったんですよ。 私がやれること、私にしかできないことをやっていこうと思います。 (『めざまし8』 2024年8月15日放送より)
めざまし8