「ジャングル・ブギー」も大ヒット!『ブギウギ』モデル・笠置シヅ子は映画にも引っ張りだこに…黒澤明、エノケン、服部良一らが彩る<空前のブギウギ旋風>到来!
NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』。その主人公のモデルである昭和の大スター・笠置シヅ子について、「歌が大好きな風呂屋の少女は、やがて<ブギの女王>として一世を風靡していく」と語るのは、娯楽映画研究家でオトナの歌謡曲プロデューサーの佐藤利明さん。佐藤さんいわく「ついに『ブギの女王』となったシヅ子は、映画界でも引っ張りだことになっていった」そうで――。 【写真】「音楽の力ってすごい、と感じるようになった」と話す趣里さん * * * * * * * ◆笠置シヅ子と映画 ここで「東京ブギウギ」をリリースするまでの戦後の笠置シヅ子のレコードと映画について触れておく。 戦後初の笠置のレコードは、1946(昭和21)年11月発売の「センチメンタル・ダイナ」(作詞・野川香文)のセルフ・カヴァーである。この曲は「スウィングの女王」の出発点である。 カップリングは、戦時中に未発売だった南方歌謡「アイレ可愛や」(作詞・藤浦洸)だった。 「センチメンタル・ダイナ」は、1947(昭和22)年12月30日公開の映画『春の饗宴』(東宝・山本嘉次郎)で、黒いイブニング・ドレス姿のシヅ子がスウィンギーに歌唱する。 敗戦後2年間の彼女のパフォーマンスは圧倒的である。 映画はその後、主題歌としてフィーチャーされた「東京ブギウギ」のパワフルなソング・アンド・ダンスへと展開していく。 また「アイレ可愛や」は、戦後初めてシヅ子が出演した映画で、この年9月16日公開の『浮世も天国』(新東宝=吉本プロ・齋藤寅次郎)の挿入歌として劇中で唄った。 横山エンタツ、花菱アチャコ、徳川夢声、古川ロッパに加えて「アノネ、オッサン、ワシャかなわんよ」のフレーズで戦前、戦中の子供たちを夢中にした怪優・高勢實乘の五人男が出演。原作は「轟先生」の人気漫画家・秋吉馨。 残念ながらプリントが現存しないので、観ることは叶わないが、笠置のパフォーマンスはおそらく観客を圧倒したことだろう。
◆戦前の映画出演 戦前「スウィングの女王」として大人気だったシヅ子だが、意外なことに戦前の映画出演は一作品だけ。 SGD(松竹楽劇団)時代、元祖・唄う映画スター・高田浩吉主演の『弥次喜多 大陸道中』(39年・松竹下加茂・吉野栄作)である。 藤井貢、伏見信子の松竹スターに加えて、第二次あきれたぼういずの坊屋三郎、益田喜頓、山茶花究が共演。 同名主題歌は、高田浩吉と上原敏のデュエット(作詞・藤田まさと、作曲・高橋虎之助)でカップリングは伏見信子の「唄ふ姫君」(同)。ポリドールからリリースされている。 この時は、シヅ子はレコード・デビュー直前、何を歌ったのか、SGDのジャズ・ソングの替え歌だろうか、と興味は尽きない。
【関連記事】
- 最愛の人を失った『ブギウギ』モデル・笠置シヅ子が引退撤回、再びステージへ!曲想が湧いた服部良一は喫茶店のナフキンに…戦後復興の象徴「東京ブギウギ」誕生秘話
- 最愛の人が我が子を抱くことなく旅立ち『ブギウギ』モデル・笠置シヅ子は悲しみのどん底に…「彼女の苦境をふっとばしたい」と服部良一が決意したこととは
- 朝ドラ『ブギウギ』で鈴子と恋に落ちる村山愛助を演じる水上恒司。岡田健史から本名で再スタート、独立して見えたこと
- 『ブギウギ』モデル・笠置シヅ子が吉本創業者の息子と一つ屋根の下で暮らした期間はあまりに短く…不治の病と空襲の恐怖になぜ二人は打ち勝てたのか
- 戦争が終わって最愛の人と一つ屋根の下。服部良一も戻り「喜劇王」と共演…『ブギウギ』モデル・笠置シヅ子にやってきた<人生最良の日々>とは