《胸に十字の手術痕》冠動脈バイパス手術をした松山千春、歌うのも難しい状態「来年の春のコンサートは無理かもしれない」 リハビリを支える最愛の家族
復帰の場にラジオを選んだ理由
松山と彼より1才年上の一般女性の妻は札幌で出会い、20代の頃に約10年間の交際を経て1985年に結婚。一人娘をもうけた。 「穏やかな性格の女性で、千春さんの両親にも優しく接してくれたことが結婚の決め手になったといいます。献身的な姿を見て『おれがもし認知症になっても、彼女なら最後まで面倒を見てくれるだろう』と思ったのだとか。 若い頃には何人かの女性と浮名を流してきましたが、別れた後も相手を大切にするのが千春さんの流儀。コンサートにVIP扱いで招くこともあるようで、奥さんも黙認してきたそうです」(別の音楽関係者) 松山にとって、かつての恋人たちはいわば同志。ファンの前でも堂々と自身の移り気を語っていたが、2009年のコンサートでは糖尿病の影響で「もうこっちは役に立たなくなった」と言って会場の笑いを誘っている。 松山が長年、携帯電話のストラップにつけていたのは、長女からもらったぬいぐるみだった。 「色あせても肌身離さず常に持ち歩いていました。一昨年のコンサートで娘さんが結婚したことを明かし、『いくつになっても父さん、母さんは心配しています』と寂しそうに話していたのが印象的でした」(前出・音楽関係者) 今回、松山が復帰の場にラジオを選んだのは、彼にとってラジオこそが原点だからだという。 「1970年代中盤に、デビュー直後の千春さんの才能を見出したのが、STV(札幌テレビ)ラジオのディレクターだった竹田健二さんでした。若くして亡くなった竹田さんへの恩は一度たりとも忘れたことがないそうで、今回の収録もSTVで行われています。深夜ラジオ番組『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)のディスクジョッキーを務めたこともありますが、『NHK紅白歌合戦』には何度頼まれても出ようとしない。本音を言えないテレビより、自由に発言できるラジオの方が好きなんです」(松山の知人) 復帰番組では、悔いを残さず、愛に生きることを歌った名曲『今日は終らない』をかけた。 「一日でも早く歌を歌えるような状態に戻りたいと思います。戻ったときにはこれまで以上の歌を歌えると思います」と語った松山。現在も一生懸命リハビリに努めているという。 ※女性セブン2024年11月14日号