映画界の巨匠・大林宣彦監督死去 遺作は新型コロナで公開延期に
“尾道三部作”と呼ばれる「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」をはじめ、数々の作品で知られる映画監督の大林宣彦さん(享年82)が10日、肺がんのため都内の自宅で死去した。葬儀・告別式は家族葬(密葬)で執り行われ、お別れの会を後日予定しているという。喪主は、妻で映画プロデューサーの大林恭子さんが務める。なお遺作となった「海辺の映画館-キネマの玉手箱」は当初、亡くなった10日が公開予定日だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け延期となっていた。
CMの巨匠から映画監督へ アイドル映画にも貢献
大林監督は1938(昭和13)年、広島県尾道市の生まれ。父方・母方ともに代々続く医家だったが、幼い頃から自宅の納戸で見つけた映写機のおもちゃに親しみ、6歳の頃には35ミリフィルムに手描きしたアニメーションを作っていたという。 1964年頃からまだ草創期だったテレビCMに携わり、高度成長期と相まって予算も出稿量も右肩上がりの時代、チャールズ・ブロンソンの「マンダム」やカトリーヌ・ドヌーヴの「ラックス化粧品」、「ラッタッタ」でおなじみとなった「ホンダ・ロードパル」のソフィア・ローレンなど多くの外国人スターを起用し“CM界の巨匠”となる。 1977(昭和52)年に「HOUSE/ハウス」で商業映画の監督デビュー。80年代に作った故郷・尾道を舞台とした「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」は“尾道三部作”として人々に親しまれ、大林監督のキャリアの中でも代表作の一つとなった。 また、薬師丸ひろ子主演「ねらわれた学園」をはじめ、新人アイドルや新人女優を主役に据えた作品も多く、アイドル映画の第一人者とも称された。
2016年に余命宣告も映画撮り続ける
2016(平成28)年にステージ4の肺がんで余命3ヵ月と宣告を受け、転移を繰り返すがんと闘病中も映画を撮り続けていた。昨秋開催された第32回東京国際映画祭では大林監督の特集上映が行われ、車椅子でレッドカーペットに登場。特別功労賞を受賞し、「世界平和を訴える力を持っているのが映画。あと2000年、3000年は(映画を)作り続けたい」と話していた。 遺作となった「海辺の映画館-キネマの玉手箱」は、大林監督が亡くなった10日が公開予定日だったが、先月末、新型コロナウイルスの感染拡大の状況等に鑑み公開延期が発表されていた。 (文:志和浩司)