かつての労働者の街が…大阪・釜ヶ崎「LGBTQ高齢者の介護や就労支援の最前線になった」深い背景
今、大阪市西成区にある「釜ヶ崎(あいりん地区)」が、LGBTQの高齢者の介護や、障害者就労支援の〝前線〟となっていることを知っているだろうか。 【これは…】すごい!山口組若頭「髙山清司」出所 グリーン車1両貸し切り「VIP」写真 かつて日本でも労働者の多い地区として知られた街が、LGBTQの介護者が高齢者のLGBTQの人々を支えたり、高齢の障害者が就労支援でクラフトビールを売ったりする場となりつつあるのだ。社会から外れた高齢者の実態を追うルポ『無縁老人』(石井光太、潮出版社)からその実情を紹介したい。 「釜ヶ崎」と聞けば、中高年層なら、「日雇い労働者が集まる街」というイメージを抱く人も少なくないだろう。若い世代には、「ホームレスの人たちが集まるカオスの街」というイメージかもしれない。 釜ヶ崎は、高度経済成長期から1970年代にかけて簡易宿泊所が集まる「ドヤ街」として栄えた。 当時の日本では経済発展に伴って、様々な開発工事が行われていた。釜ヶ崎には仕事を紹介する手配師が大勢おり、人々はここにやってきては日雇いや短期の肉体労働を得ていたのだ。最盛期には、わずか500m四方の地区に2万人以上の労働者があふれ返っていた。 この頃のドヤ街の特徴は、身分を隠したまま職にありつけることだった。そのため、街に集まる労働者の中には、素行の悪い者も少なからずいた。 暴力団を破門になった者、借金取りから逃げてきた者、刑務所から出てきたばかりの者、覚醒剤中毒の者……。彼らは、日銭を一夜で博打、買春、酒などに費やし、文字通りのその日暮らしをしていた。 ◆「どんな人でも受け入れてくれる」 この頃から釜ヶ崎には、今でいうLGBTQの人々も少なからず集まっていたという。釜ヶ崎でケアマネージャーをしてる梅田政宏氏は言う。 「昔も今も釜ヶ崎には、LGBTQの人がたくさん住んでいます。そもそも地方の田舎で生まれ育ったLGBTQの人たちは、家族と縁を切って実家から出ていくことが多かったんです。地元で差別されたとか、親から異性との結婚を無理強いされたとか、理由は多岐にわたります。 そうした人たちが故郷を離れて都会で生活しようとしても、やっぱりそこでも差別をされたり、人間関係がうまくいかなくなったりして居場所を見つけられない。そういう人たちが、どんな人でも受け入れてくれる釜ヶ崎に流れてくるのです」 今回、取材で出会った人も同じだった。 Aという人物は、1930年代にトランスジェンダー(身体は男性で、心は女性)として育ったが、当時はそれを告白することなど許されない時代だった。そのため、町工場の跡取りとして両親が決めた女性と結婚させられた。 Aにとって男性を演じて妻と接するのは何よりつらいことだった。3人目でやっと男子を授かった時、彼はすべてを捨てて裸一貫で家から夜逃げした。 その後、たどり着いたのが釜ヶ崎だった。Aは日中に建設業で働きながら、夜は本来の性、つまり女性として生きることを選んだ。 釜ヶ崎では異性愛の人も、性的マイノリティーの人も混ざって暮らしていた。異性愛者は近所の飛田新地で買春をすることが多かったが、Aのようなトランスジェンダーやゲイなど性的マイノリティーの人々はすぐ近くの「新世界」と呼ばれる地域が交流の場になっていた。そこで、Aは女性として過ごしていたのだ。 Aは次のように話していた。 「あの時代は、女装が好きとか、男が好きなんてことは絶対に言っちゃいけなかった。でも、ここ(釜ヶ崎)だけは、あらゆる人間を受け入れてくれた。差別された人たちが集まる場所だから差別なんてないの。だから、男がスカート履いていようと、男同士で手をつないでいようと誰も何も言わないわけ。初めて来た時は天国みたいだって思った」 釜ヶ崎はこのようなマイノリティーの人々の居場所になっていたのである。 それから半世紀が経ち、このような人々も高齢者となった。長年の肉体労働や不摂生で体は衰え、生活保護を受け、その金で今なお釜ヶ崎の簡易宿泊所、あるいは近隣のアパートに暮らし、余生を過ごしている。中には、高齢になったLGBTQの人々が、居場所をなくし、この街にたどり着くこともあるらしい。 こうした高齢者の中には介護を必要とする人も少なくない。そんな人々の力になっているのが、先のケアマネージャーの梅田政宏氏だ。 梅田氏はゲイであることを公言し、ケアマネージャー事業所「にじいろ家族」を設立し、西成区に暮らす高齢のLGBTQの人々の介護関連事業を行っている。彼は次のように話す。 「利用者さんがLGBTQだからといって、ケアの内容が変わるわけではありません。でも、ぼくみたいな人間だからこそわかる細かな感覚や、築ける人間関係があると思っています」 ◆釜ヶ崎が一つのモデルに ゲイの高齢者の中には、HIV陽性者もいる。現在、HIVは薬でコントロールできる病気になっているが、それには定期的に病院へ行き、適切な薬を飲みつづけなければならない。また、同性の恋人に身に周りの世話をしてもらっている人も少なくない。 こういう高齢者にしてみれば、梅田氏のようなケアマネージャーは貴重だろう。病気のことも相談できるし、同性の恋人がいることも理解してもらえる。 そういう意味では、LGBTQが集まる釜ヶ崎だからこそ、それに理解のあるLGBTQの支援者の需要が高い。そしてそれに応えている人々が少なからずいるのだ。 梅田は言う。 「釜ヶ崎で、ゲイを公表しているケアマネージャーは僕くらいですが、看護師や介護士はたくさんいます。そういう看護師や介護士をたくさん雇っている会社もあります。なので、僕としてはできるだけLGBTQの看護師や介護士を、そうした高齢者と結びつけようとしています。やはりそちらの方が穏やかな老後を過ごせると思うからです」 LGBTQの高齢者が一定数集まって暮らし、それに対する専門の福祉が行われている地域はほとんどないという。この種の介護の内容など詳しいことについては『無縁老人』を読んでいただきたいと思うが、釜ヶ崎は一つのモデルになりつつあるといえるかもしれない。 次に見ていきたいのは、釜ヶ崎で暮らす人々の就労支援とクラフトビール事業についてだ。これについては【後編:大阪・釜ヶ崎の高齢労働者たち「クラフトビール販売で大成功!」奇跡の実話】で詳しく述べたい。 取材・文:石井光太 ’77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『絶対貧困』『遺体』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『格差と分断の社会地図』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』などがある。
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