【神宮大会】明治、大正、昭和、平成、令和とつながれてきた「広商野球」とは?
流れを止めるビッグプレー
11月25日 神宮 【第55回記念明治神宮野球大会】 ▼決勝(高校の部) 横浜高4-3広島商高 第55回記念明治神宮野球大会の高校の部の決勝が11月25日に行われ、横浜高(関東地区/神奈川)が27年ぶり2度目の優勝。初出場の広島商高(中国地区/広島)は終盤に追い上げたが、1点及ばなかった。計3試合で伝統の「広商野球」を披露。春1度、夏6度の全国優勝を誇る「古豪復活」を印象づけた。 序盤は横浜高ペースだった。広島商高は1回裏に2失点、2回裏も2失点。なおも二死二、三塁で、左打席には1回裏に先制2点適時打を浴びた四番・小野舜友(1年)を迎えた。鋭いスイングから二遊間への強いゴロ。広島商高の二塁手・西村銀士(2年)はダイビングで好捕し、素早い一塁送球でアウトに。抜けていればワンサイドの展開になっていた恐れもあり、流れを止めるビッグプレーだった。 「守りからリズムを作って、攻撃につなげる。公式戦経験の浅い投手が緊張した中で投げていたので、そこをカバーできたのは良かったです。守りで意識しているのは、球際。正面の打球は足を使って入り、しっかり送球する。グラブに当たれば、取らないといけない」 敵将の横浜高・村田浩明監督は試合後、険しい表情で決勝を振り返った。 「最初に4点が入り、次の1点を取りにいきましたが、広商さんの堅い守り、二塁手のプレーがすべて。流れを呼び戻されました。ウチが(7回表の)守りのミスで2失点。厳しい試合でした。最後の最後まで、何が起こるか分からなかったです」 主将・西村は冷静だった。 「横浜高校さんの打撃は良いですが、許容範囲でした。終盤、自分たちの野球ができればいい、と。終盤とは7、8、9回で1点ずつ。練習試合、練習からやってきましたので、焦りはなかったです」
「圧」は「特になかったです」
広島商高はベンチ入り20人全員が、県内出身の中学校に対して、横浜高は先発オーダーに愛知、滋賀、福岡、熊本、佐賀と関東近郊以外の出身中学の名前が並んだ。つまり、全国から横浜高にあこがれ、優秀な選手たちが覚悟を持って、強豪校の門をたたいてきたのだ。 報道陣から横浜高の「圧」について質問が出たが、主将・西村は「特になかったです」と平然と答えた。常に「全国優勝」を目指す古豪としての矜持を見せつけたのだった。 広島商高は2点を追う9回表に1点を返したが、あと一歩、及ばなかった。 「悔しい気持ちでいっぱいです。ただ、この神宮大会では強い相手校さんから2勝できた。自分たちの野球をすれば、通用すると分かりました。(出場が有力視される)春(のセンバツ)も優勝を目指している。反省すべき課題を一つひとつぶして、春に臨みたいと思う」 この秋は広島県大会、中国大会で優勝。明治神宮大会準優勝と、成果を残した要因を語る。 「大宗(大宗和響、2年)、徳永(徳永啓人、2年)を中心とした投手陣がリズムを作って、全員が守備をしていたことです」 1899年創部。明治、大正、昭和、平成、令和とつながれてきた「広商野球」とは何なのか。主将・西村は力を込める。 「目立った選手はいませんが、チーム全体で勝ちにいく。打撃では本塁打、長打より、低いライナーを意識しています。バントは一発で決め、走塁は次の塁を貪欲に狙う。良い伝統を受け継いで、ゲームでは勝ちにこだわる」 横浜高との対戦を経験し、冬への課題が明確になったという。 「高校生とは思えない体つき。見習っていかないといけない。先発してきた織田(織田翔希、1年)投手はストレートが重く、変化球のキレが素晴らしい。救援した奥村(奥村頼人、2年)を含めて、あの全国トップレベルの投手を打ち崩していかないと、上位進出はできない。点を取るためには、塁に出るしかない。四死球でも、何でも良いので、後ろのバッターにつなぐ意識を高めて、練習を積んでいきたい」 神宮では多くの学びがあった。広島商高の選手たちには学習能力があり、今大会での経験値をすべて落とし込み、グラウンドでの練習に生かす術を心得ている。自分たちの野球が、伝統の広商野球をつないでいくことになる。 文=岡本朋祐
週刊ベースボール